天野喜孝(Yoshitaka Amano)氏について

>天野喜孝展

天野喜孝展:http://amano-exhibition.jp/

エムズ・マネジメント:http://m-smo.co.jp/

世界各地で開催している天野喜孝氏の個展が、2016年6月19日より新潟県にある新津美術館で開催されました。
美術館では初期作から最新作を含めて約200点の作品が展示。
その初日には、天野喜孝氏が新津美術館に訪れてアーティストトークを行いました。


今回、特別に全ての展示作品の撮影許可が認められ、ご好意に深く感謝し派手に撮影してきました。
作品は一部拡大表示できるようにしております。PCやタブレットなら見やすいかと。
天野氏の作品と共に、アーティストトークで学んだ全てを以下に記載しました。


天野喜孝アーティストトーク

アーティストトークは90分間行われ、300人余り集まった観客からの質問も含め行われた。
写真の左の女性は司会者、右の女性は天野氏の鈴木マネージャー。


はじめまして

天野氏が、美術館の階段を登った所の空間が寂しいと感じた。
「今更壁にかけられない」と言われて、どうしようかってことで急きょ何か描いて空間を埋めようと、
20~30分ぐらいかけて描いた作品『はじめまして』。
白い部分を埋めるというのがテーマだったので、結構楽しかったそうです。


天野喜孝氏の経歴、主な書籍

天野喜孝氏は画家、イラストレーター、キャラクターデザインなど幅広く活躍しているアーティスト。
15歳でタツノコプロに入社し、『科学忍者隊ガッチャマン』『タイムボカン』『昆虫物語みなしごハッチ
などの人気キャラクターを生み出した。
それらは天野氏の原点作であり、子供だけでなく大人も魅了したキャラクターたちである。


独立後にSF小説のイラストや『ファイナルファンタジー』シリーズなどゲームのデザインも手掛け、
さらには舞台美術や衣装のデザイン、絵本や映画、ファンアートなど幅広い分野で作品を制作してきた。
海外ではフランス、アメリカ、ドイツなどでも個展を開催し、芸術家としても高い評価を得ている。



天野喜孝氏の略歴、受賞歴
略歴 作品内容
1952年 天野喜孝氏が静岡市で生まれる。
1967年 15歳でアニメーション制作会社『タツノコプロダクション』に入社する。
天野嘉孝』の名義でタイムボカンなどのキャラクターデザインを手掛ける。
1982年 タツノコプロから独立して、イラストレーターとしてデビューする。
名義が『天野喜孝』に変更。
1987年 ファイナルファンタジーのキャラクターデザインを手掛ける。
同時期に『吸血鬼ハンバーD』や『グイン・サーガ』の挿画を手掛ける。
1992年 『楊貴妃』の舞台美術を担当する。
1993年 映像作品『天野喜孝 ~華麗なる幻想美の世界~』を発売する。
1994年 『海神別荘』の舞台美術、衣装デザインを担当する。
1995年 1995年頃からパリ、ニューヨークで制作する。
1997年 『THINK LIKE AMANO』をニューヨークで開催(翌年上野の森美術館で開催)。
近年は欧米アジア各国で数多くの展覧会を開催する。
2001年 映画『陰陽師』の衣装デザインを担当する。
2007年 映画『ユメ十夜』の第7夜の監督を担当する。
受賞歴 受賞内容
1983年 1983~1986年の4年連続でアート部門『星雲賞』を受賞する
2000年 THE SANDMAN: The Dream Hunters(ニール・ゲイマンとのコラボレーション)で
最優秀漫画関連書籍部門を受賞する。
ドラゴン・コン賞、ジュリー賞を受賞する。
2007年 第38回のアート部門『星雲賞』を受賞する。

天野喜孝氏の個展、グループ展の開催年表
個展 開催内容
1989年 『飛天』有楽町マリオン(東京:8月18日~22日)
1991年 『昇華』金沢市文化ホール(金沢:7月26日~30日)
『DAWN』大森ベルポートアトリウム(東京:8月29日~9月1日)
1994年 『乱歩、アラビアンナイト、そしてファイナルファンタジーの世界』
 有楽町マリオン(東京:8月5日~17日)
1995年 『Museum des Sciences Naturelles』(オルレアン・フランス:1月27日~2月5日)
『キャラクターズ』有楽町マリオン(東京:8月9日~20日)
1996年 『アニメーションワールド』有楽町マリオン(東京)
1997年 『THINK LIKE AMANO』Puck Building(ニューヨーク:11月10日~17日)
 有楽町マリオン(東京:7月30日~8月17日)
1998年 『ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭』(ブリュッセル・ベルギー:3月13日~28日)
『1001 NIGHTS』Dorothy Chandle rPavillion(ロサンゼルス:4月30日~5月3日)
『ケルト・フェアリー・ファンタジー』井村君江妖精美術館(福島:8月1日~10月11日)
『THINK LIKE AMANO』上野の森美術館(東京:9月29日~10月11日)
1999年 『月あかりのファンタジー』井村君江妖精美術館(福島:9月21日~11月6日)
『Hero』Angel Orensanz Foundation(ニューヨーク:10月6日~31日)
2000年 『天野喜孝・メルヘンの世界』井村君江妖精美術館(福島)
2002年 『Leo Koening Inc.』(ニューヨーク:6月25日~8月3日)
『Mediatheque de Cavalaire-sur-Mer』(PACA・フランス)
2003年 『The works』Galerie Michael Janssen(ケルン・ドイツ:3月21日~5月24日)
『The Happy Lion Gallery』(ロサンゼルス)
『金魚姫とNYサラダ』井村君江妖精美術館(福島:8月~10月)
2004年 『New works』Galerie Michael Janssen(ケルン・ドイツ:3月21日~5月24日)
『M』Kunstverein Heilbronn(ハイルブロン・ドイツ:10月24日~12月5日)
『Galerie Edward Mitterand』(ジュネーブ・スイス:12月9日~2005年1月22日)
『recent works』Galerie Patrick De Brock(クノック・ベルギー)
2005年 『マニエラ』上野の森美術館(東京:5月3日~10日)
『Alimentation Generale』Galerie Nosbaum & Reding-Art Contemporain
(ルクセンブルク:3月3日~4月16)
2006年 『Eye on Amano』Festival Walk(香港:8月17日~9月3日)
『Art Statements Gallery』(香港:9月4日~10月14日)
『Yoshitaka Amano : Le monde de I'Animation』
 Le Baladoir de L'Espace Bonlieu(アヌシー・フランス)
2007年 Galerie Nosbaum & Reding-Art Contemporain(ルクセンブルク:5月24日~7月28日)
2008年 『DEVA-LOKA』Galerie Michael Janssen(ベルリン:1月18日~2月29日)
『天野喜孝~N.Y.SALAD妖精絵画展~』うつのみや妖精ミュージアム(栃木:7月31日~8月31日)
『DEVA LOKA, Rouge & Bleu』Art Statements Gallery(香港:9月4日~11月20日)
2009年 『DEVA LOKA USA』SUPERFROG Gallery(サンフランシスコ:8月15日~11月8日)
『Amano Galaxy』表参道ヒルズ(東京:8月26日~31日)
『Flying to DEVA LOKA』Metaphysical Art Gallery(台北:11月7日~29日)
2010年 『英雄』MOCA Studio(台北:1月22日~3月7日)
『DEVA LOKA』LeBase Projects(ロサンゼルス:2月10日~3月13日)
『異想の世界・奇想の世界』鳳甲美術館(台北:8月7日~9月19日)
『Reves et portraits』Galerie Petits Papiers & Maison Autrique
(ブリュッセル・ベルギー:9月17日~2011年1月31日)
『Galerie Nosbaum & Reding-Art Contemporain』(ルクセンブルク:11月11日~2011年1月8日)
『DEVA LOKA』Art Statements Tokyo(東京:11月17日~2011年1月22日)
2011年 『Yoshitaka Amano : FOR JAPAN』SUPERFROG Gallery(サンフランシスコ:6月18日~7月9日)
2012年 『DEVA LOKA Redux』Art Statements Gallery(香港:11月22日~2013年2月20日)
2013年 『Mythopoeia』Mizuma Gallery(シンガポール:6月7日~7月14日)
『TOKYO SYNC』ミヅマアートギャラリー(東京:11月27日~2014年1月18日)
2014年 『天野喜孝展 想像を超えた世界』熊本市現代美術館
2015年 『天野喜孝展 想像を超えた世界』高浜市やきものの里かわら美術館
『天野喜孝展 想像を超えた世界』兵庫県立美術館ほか全国巡回
2016年 『進化するファンタジー』東京 有楽町朝日ギャラリー
『DISCOVER! TOKYO』in『CANDY GIRL』東京 銀座三越
グループ展 開催内容
1992年 『少女達にとっての美少年展』弥生美術館(東京:4月2日~6月28日)
『ファンタジーランド』逓信総合博物館(東京:11月8日~23日)
1995年 『ファンタジーRPGイラストレーション展』滋賀県立近代美術館(東京:1月5日~2月19日)
1998年 『妖精の世界展』大丸ミュージアム(東京・神戸・京都巡回:2月11日~23日)
2002年 『Game On』Barbican Galleries, Barbican Art Centre(ロンドン:5月16日~9月15日)
2004年 『Funny Cuts』Staatsgalerie ( シュトゥットガルト・ドイツ:12月4日~2005年4月17日)
『Yoshitaka Amano - Andre van de Wijdeven』Galerie Tanya Rumpff
(ハールレム・オランダ:6月4日~27日)
『Dessins et des Autres-Part2』 Galerie Catherine Bastide
(ブリュッセル・ベルギー:5月13日~6月13日)
『Dessins et des Autres』Galerie Anne de Villepoix(パリ:1月22日~2月28日)
『Rodolphe Janssen feat. Michael Janssen』Galerie Rodolphe Janssen
(ブリュッセル・ベルギー:1月8日~2月7日)
2005年 『10 Years!』Galerie Michael Janssen(ケルン・ドイツ:10月29日~12月22日)
2006年 『Fiction@Love』MoCA Shanghai(上海:1月7日~3月26日)
2007年 『3L4D』Metaphysical Art Gallery(台北:10月20日~11月8日)
『Animamix:From Modernity to Eternity』MoCA Shanghai(上海:10月14日~11月4日)
『Comix」Kunsthallen Brandts(オーデンセ・デンマーク:9月22日~2008年1月6日)
2008年 『Manga! Japanese Images』Louisiana Museum for Moderne Kunst
(フムレベック・デンマーク:10月8日~2009年2月8日)
『Anime! High Art-Pop culture』AMPAS/Academy of Motion Picture Arts and Sciences
(ロサンゼルス:5月15日~8月23日)
『Anime! High Art-Pop culture』Deutsches Film Museum
(フランクフルト・ドイツ:2月27日~8月17日)
2009年 『Eve:菱沼良樹+天野喜孝』オペラ座(パリ)
2010年 『Kyoto-Tokyo, from Samourais to Mangas』Grimaldi Forum(モナコ:7月14日~9月12日)
『Eve:菱沼良樹+天野喜孝』清水寺(京都:5月15日~6月6日)
2011年 『Anime! High Art-Pop culture』Bundeskunsthalle(ボン・ドイツ:7月29日~2012年1月8日)
2012年 『4 Artists Participating in the 55th Venice Biennale』Art Statements Gallery
(香港:4月25日~5月25日)
『paper does not blush』Galerie Michael Janssen(ベルリン:1月28日~3月3日)
2013年 『天野喜孝×HYDE展 天命と背徳 ~NIPPON EVOLUTION~』ラフォーレミュージアム原宿
(東京・大阪巡回:8月9日~31日)
『Personal Structures』Palazzo Bembo(ヴェニス・イタリア:6月1日~11月24日)
2014年 『Impacts! 勢み-Japan Art Festival』Zane Bennett Contemporary Art(サンタフェ・アメリカ)
『Archipelagoes』Mizuma Gallery(シンガポール:1月10日~26日)

出版物、ビデオ・DVD
略歴 出版物 メーカー
1984年 天野喜孝展 摩天 朝日ソノラマ
1987年 幻夢宮 新書館
1989年 飛天-天野喜孝画集 朝日ソノラマ
1989年 ファイナルファンタジー モンスターマニュアル-天野喜孝イラスト集 JICC出版局
1991年 天馬之夢-アルスラーン戦記イラスト集 角川書店
1991年 DAWN-天野喜孝空想画集 ファイナルファンタジーの世界 NTT出版
1992年 月の王 MON MUSEE ANZ堂
1993年 MONO幻視の英雄たち ANZ堂
1993年 詩画集 天国への階段(詩:松本隆) 講談社
1994年 ファイナルファンタジーⅥ-Character collections NTT出版
1994年 JAPAN-FINAL FANTASY NTT出版
1994年 花天-天野喜孝画集 講談社
1996年 天野喜孝 グイン・サーガ画集 早川書房
1996年 天野喜孝『妖精』mon musee serie あんず堂
1997年 天野喜孝タロットカード画集 光風社出版
1997年 源氏物語(天野喜孝美術館シリーズ) あんず堂
1997年 かんおけ 天野喜孝画集 吸血鬼ハンターD 朝日ソノラマ
1999年 1001 Nights 角川文庫
1999年 美天-天野喜孝画集 朝日ソノラマ
1999年 アリス・エロチカ(著:海野弘) あんず堂
1999年 Sandman:The Dream Hunters(著:Neil Gaiman) DC Comics
2000年 吸血鬼ハンター”D”-天野喜孝画集 朝日ソノラマ
2000年 メルヒェン あんず堂
2001年 画集 ポエム(共著:黛まどか) あんず堂
2001年 鬼譚草紙(著:夢枕獏) 朝日新聞社
2001年 こたつ1-こたつとともだち 講談社
2001年 こたつ2-こたつの1しゅうかん 講談社
2001年 天野喜孝画集<空>-THE ART OF FINAL FANTASY デジキューブ
2001年 魔笛 朝日ソノラマ
2001年 喜天-天野喜孝画集 あんず堂
2002年 天野喜孝全版画集 美術出版社
2002年 N.Y.SALAD-THE WORLD OF VEGETABLE FAIRIES 天野喜孝事務所
2002年 天野喜孝交響曲 あんず堂
2002年 Elektra/Wolverine:The Redeemer(著:Greg Rucka) Titan Books Ltd
2003年 Yoshitaka Amano-天野喜孝 墨絵の世界 美術出版社
2003年 天野喜孝画集「AMANO first」 朝日ソノラマ
2004年 天使のたまご 少女季(著:あらきりつこ、押井守) 徳間書店
2004年 YOSHITAKA AMANO "SILENCE"
THE ART OF FRONT MISSION 1995~2003
スクウェア・エニックス
2004年 BATTY&BATINA; 1st Street 幻冬舎コミックス
2004年 BATTY&BATINA; 2st Street 幻冬舎コミックス
2004年 天野喜孝美女画集 処女宮 ジェネオン エンタテイメント
2005年 画集『花と蛇』 太田出版
2005年 忘れるレタス姫 N.Y.SALAD 主婦の友社
2006年 楊貴妃(著:夢枕獏) エンターブレイン
2007年 Worlds of AMANO Dark Horse Books
2008年 幻天 重慶出版
2010年 楊貴妃の晩餐(共著:夢枕獏、叶松谷) 角川書店
(角川グループパブリッシング)
2010年 Shinjuku(著:Christopher ”Mink” Morrison) Dark Horse Books
2012年 天野喜孝 乱歩幻影画集 復刊ドットコム
2012年 天野喜孝 60th Visual Book 株式会社Noh-Ra
2013年 The Sky:The Art of Final Fantasy Slipcased Edition Dark Horse Books
2013年 Deva Zan Dark Horse Books
2014年 天野喜孝(イラストレーション別冊) 玄光社
略歴 ビデオ・DVD メーカー
1999年 DVD『1001 Nights』(監督:David Newman) Happinet Pictures
2001年 DVD『天使のたまご』(監督:押井守) パイオニアLDC
2002年 DVD『天野喜孝~華麗なる幻想美の世界~』Vol.1・創 ユニバーサル
2002年 DVD『天野喜孝~華麗なる幻想美の世界~』Vol.2・時 ユニバーサル
2002年 DVD『天野喜孝~華麗なる幻想美の世界~』Vol.3・天 ユニバーサル
2006年 DVD『画ニメ Fantascope ~tylostoma~』(監督:木村草一) ビデオメーカー
2007年 DVD『ユメ十夜』(第7夜監督:天野喜孝) 日活
2007年 DVD『画ニメ 鳥の歌』 ビデオメーカー
2007年 DVD『TOKUMA Anime Collection 天使のたまご』(監督:押井守) 徳間書店


天野喜孝氏のタツノコプロ時代

タツノコプロ時代に手がけたアニメ作品
年代 タイトル 仕事内容
1969年 ハクション大魔王 アニメーター
1970年 昆虫物語 みなしごハッチ キャラクターデザイン
1973年 新造人間キャシャーン キャラクターデザイン
1974年 破裏拳ポリマー キャラクターデザイン
1975年 宇宙の騎士テッカマン
タイムボカン
キャラクターデザイン
1976年 ゴワッパー5 ゴーダム キャラクターデザイン
1977年 ヤッターマン
とびだせ!マシーン飛竜
キャラクターデザイン
1978年 科学忍者隊ガッチャマンⅡ キャラクターデザイン
1979年 ゼンダマン
科学忍者隊ガッチャマンF
キャラクターデザイン
1980年 タイムパトロール隊オタスケマン キャラクターデザイン
1981年 ヤットデタマン キャラクターデザイン
1982年 逆転イッパツマン キャラクターデザイン

タツノコ公式:http://www.tatsunoko.co.jp/


15歳でプロになる

天野喜孝氏がアニメ製作会社『タツノコプロ』に入社したキッカケは、
子供の頃から絵を描くのは好きで、もともとリアルな絵が好きだったが、
段々と漫画やアニメーションに興味出てきた。


アニメーションは当時はまだそんなにポピュラーではなかったが、新しいジャンルというか、
当時テレビアニメでタツノコプロが『宇宙エース』を放送しており、
それをたまたま観ていたので見学に行った。


その後、天野氏はうろ覚えだったが、見学に行って「タツノコに入れてくれ」と言ったと思うんですけど、
採用通知が来てしまったんで、これは凄いなと思ってそれがキッカケだった
と話していた。


タツノコプロ時代は数々のキャラクターを生み出したが、どういう風に生まれるのか?

動画と原画を身振りで説明する天野喜孝氏

実は最初の頃はアニメーターで絵を動かす方だった。
アニメの動画というのはキーを動かす方で、原画というのはキーの絵を描く方。


例えば手を上げたところと、下げたところの絵は原画になる。
その間の何枚か必要になる絵が動画なのだと、原画と動画の違いを天野氏が手振りしながら語る。
それで動画から原画になって、その後キャラクターデザインという仕事に就いた。


タツノコプロにいた頃はキャラクターデザインをしたのは初めてで、
当時の企画物は秘密時のうちにある程度制作して、それを持ち込んでテレビという流れだった。
天野氏の仕事は新しい企画のキャラクターだったので、普通の社員が入れない個室に
閉じ込められるような感じでずっと仕事をしていたそうです。いわゆるトップシークレット扱い。


普通の原画の部屋があって最初はそこにいたが、個室と原画の部屋を行ったり来たりしながら、
いつの間にか個室が自分の部屋なった。
その個室は社長室の隣にあったので、そこでヤッターマンが生み出されたというか、
やらざるを得なかった(笑)と天野氏が話す。



おかげ様で一つのキャラクターを生み出すのに何回も描きなおすことはあまり無く、
社長(吉田竜夫氏)から結構言われることもなかった。
仕事はお前に任せたというよりは、「ほとんど教えてくれないみたいな」そんな感じだったと言う。


部屋に居る時は缶詰状態で、お昼休みには仲間と飯食いに行ったり、
仕事が終わったらみんなで帰ってどこかへ遊びに行ったりして、そういう意味ではフリーだった。
社長室の隣だったので「しょっちゅう逃げてました(笑)」と話すが、本当か冗談なのか分からなかった。
ただ、雨が降ると会社には来なかったそうです。理由は傘を持っていないから。


タツノコプロ時代にシリアス路線のガッチャマンと、
ギャグ路線のタイムボカンシリーズを2つやってたのは天野氏だけだった。
他の人はシリアス路線だけの人はシリアスだけ。ギャグ路線はギャグだけだった。


なので天野氏は未だにシリアスな作品を描くと疲れて、
今度はギャグや可愛い作品を描いて息抜きをしている。N.Y SALADなどはそんな流れで生まれた作品です。


■ヤッターマンに登場する「豚もおだてりゃ木に登る」の『おだて豚』は天野氏のキャラなのか?

監督・笹川ひろし氏か、僕が描いたのか覚えていない。
「豚もおだてりゃ木に登る」というのは、ことわざがあったらしい。
タイムボカンで使ったことにより、一般的になったと笹川ひろし氏が発言してた。


■『おだて豚』は天野氏にとって、どんな位置付けなのか?

あれはヤシの実に向かって登っていきますよね。でも上に登って行くと垂れ下がってしまう。
だから「上には行けない」という風刺のようなものでもあったりするため、
「おだてに乗っちゃいけないよ」という戒めが実はあるかも知れないです。



天野喜孝氏のファイナルファンタジー時代

ファイナルファンタジーシリーズ
ナンバリング 発売日 ハード
ファイナルファンタジー 1987年12月18日 FC
ファイナルファンタジー2 1988年12月17日 FC
ファイナルファンタジー3 1990年04月27日 FC
ファイナルファンタジー4 1990年07月19日 SFC
ファイナルファンタジー5 1992年12月06日 SFC
ファイナルファンタジー6 1994年04月02日 SFC
ファイナルファンタジー7 1997年01月31日 PS
ファイナルファンタジー8 1999年02月11日 PS
ファイナルファンタジー9 2000年07月07日 PS
ファイナルファンタジー10 2001年07月19日 PS2
ファイナルファンタジー11 2002年05月16日 PS2
ファイナルファンタジー10-2 2003年03月13日 PS2
ファイナルファンタジー12 2006年03月16日 PS2
ファイナルファンタジー13 2009年12月17日 PS3、Xbox360
ファイナルファンタジー14 2010年09月30日 PC
ファイナルファンタジー13-2 2011年12月15日 PS3、Xbox360
ライトニング リターンズ
ファイナルファンタジー13
2013年11月21日 PS3、Xbox360
ファイナルファンタジー15 2016年09月30日 PS4、XboxOne

天野喜孝氏がFFのキャラクターデザインをしていたのはFF1~6まで。
数多くのメインキャラクターやモンスターデザインを手がけていた。
FF7以降は野村哲也氏がキャラクターデザインを行い、天野氏はロゴやイメージイラストを担当している。


FFの生みの親である坂口博信氏がFFの映画興行に失敗し、責任を取ってスクウェアを辞めることになった時、
北瀬佳範氏が「何を受け継げばいい?」と聞き、坂口氏は「ロゴで天野さんの絵は外して欲しくない」と答え、
現在もそれが受け継がれている。FFのロゴに描かれている絵は天野氏がデザインした作品です。


ファイナルファンタジーの初まり

ファイナルファンタジーを初めたキッカケは、タツノコを辞めて5年ぐらい経ってから。
その前に海外のファンタジー小説を絵にする仕事があった。
ファンタジーという世界観としては、いろいろとその前にやってたんです。


当時は『ファンタジー』という言葉が無くて、SFの一部がファンタジーだった。
その中のファンタジー部門を手がけていたので、その流れでファイナルファンタジーのオファーがきた。

世界観的にはすごく違う分けではなく、その延長線上でそれはたまたまというか、
RPGゲームというのができたのでファイナルファンタジーの世界を描いた。


FF2のパッケージイラスト FF3のパッケージイラスト FF14 ロゴデザイン

自然にステージが変わっただけで、世界観みたいなのは同じような形だった。
もしかしたら野球ゲームとかのデザインだったら、
僕はやっていなかったと思いますよ(笑)と天野氏が語っていた。


ファイナルファンタジーと吸血鬼ハンバーDは同時期に続けて、どちらも30年ちかくになる。
今回美術館ではファイナルファンタジーの原画が全部揃って観れるが、
描いた本人ですら全部揃って観ることはなかなかないのだとか。


FF8 ロゴデザイン FF9 ジタン・トライバル FF13 ライトニング FF2 レオンハルト FF5 ファリス
■天野氏にとってファイナルファンタジーシリーズの位置付けはどんな感じか?

ファイナルファンタジーは、ゲームの仕事では初めて関わった作品。
なので最初に関わったゲームということが自分にとって一番の特徴というか、
未だにやっているということも意味があるのかなと思います。


僕の場合グインサーガをやったり、いろんなことをやっている中でのファイナルファンタジーなんです。
ゲームがどんどん広がり日本もだが、海外では中国、ヨーロッパ、ブラジルなどのイベントへ行くと
熱狂的なFFファンがいる。なのでゲーム自体が一つの文化になっているのかなと感じます。


タツノコプロ独立後のタッチの変化について

FF7 イメージイラスト FF3 イメージイラスト FF11 イメージイラスト

勉強して変えていったところもあるが、キャラクターデザインというものはゼロから物を作る、
絵柄を作る仕事なんです。お話があって、主人公がいて、どの時代にいるとか、映画と同じだけども、
そこで新しいキャラクターを出すわけ。それはどっかのキャラクターに似ちゃいけない。
新しい絵柄を作るというのが仕事だった。


タツノコプロダクションというのは、オリジナルの作品が多かったので原作が無い。
そうすると僕だけじゃなくて、シナリオ脚本の方も原作がないからゼロからやることになる。


そういう意味では世の中に無いものを生み出すという仕事をしていたので、
じゃあ自分の絵を仕事じゃなくて自分の絵をどうするかという時に、
自分で「なんだろう?」と思って、顔を描いたが目とか描けなくて線だけだったという絵がある。


で、いろんな風に描けるんですけども、それは何かに似てたりする。
前に作った僕のキャラクターだったりとかそういうのがあったので、
イギリスの挿絵画家アーサー・ラッカムグスタフ・クリムトアルフォンス・ミュシャとか
良いなと思うものを結構影響されて描いてたりした。


その辺からイラストとして、まあ仕事としてですけど、表紙とかのときに最初の頃はいろんな影響を受けてた。
段々やっていくうちに、自分の個性というかクセが出てきたのかなということはありますね。


FF1 オチュー FF3 オーディーン FF5 エクスデス FF6 ケフカ FF3 魔道士ハイン
■タッチの変化の考察

早川書房2007年・SFマガジン48号『天野喜孝に聞く』では、アニメーション・スタジオでの僕の担当は
キャラクターデザインいわば絵柄を作る仕事で、僕自信の絵柄というべきものがなかったんですね。
それで持ち込みの編集者さんから「どれがあなたの絵かわからない」って言われましたと話している。


タツノコ時代は『自分の絵柄』を模索する転換点であったと話しているので、
イラストレーターとして他には無いオリジナルの自分の絵を生み出そうとしてたのだと思われる。
FF1~3までは登場キャラクターを重点的に描画しており、FFシリーズのナンバリングが進むにつれ、
背景や水彩画風の着色などが増えてゲームの世界観を意識的に描かれている。


FF1の初イラストは、ファミコンの画像に合わせてか粗いドット絵を描いて提出したが、
制作側から「普通に描いてほしい」と言われた逸話がある。
時代と共にゲームハードの性能が上がり、天野氏の絵の表現も広がっていったのかと思われる。


FF15で描いたBIG BANG(ビッグバン)について

FF15で描いたBIG BANGは、美術館では初出展された作品だそうです。
2枚の紙に描かれており、ロサンゼルスで開催されたUNCOVERED FINAL FANTASY XV用に描いた作品である。
天野氏が短い期間(2週間)で描いたもの。


それをスクエニのクリエイターが3D化したCG映像がUNCOVERED FINAL FANTASY XVで公開された。
BIG BANGの後ろ側は描いていないので、「背中側はどうなってるんですか?」と聞かれたりと、
天野氏は監修的な立場を行っていた。3Dを作った人は「優秀というか世界一だ」と天野氏が感激してた作品。
美術館では6分ぐらいの3DCG映像を見ることができます。


FF15でノクティス達が一番初めにいる国は、東京・新宿をモデルにした街。
BIG BANGに見られる水のように流れる青い線は、天野氏が実際に新宿の街並みを写真で撮って、
新宿のネオンをシャッターで伸ばしたものをイメージして描いた。


■BIG BANGは和と洋の融合というか、明と闇と言えないような混沌とした雰囲気。
 イメージは天野氏の頭の中にあるものか? 一般社会が天野氏にはあんな風に見えるのか?

両方ですね。今の日本を象徴しているのかなと思います。
僕が特別ではなく、西洋文明からいろんなものが入ってきている。


でも日本人なので、モンスターも妖怪みたいになったりとか、
ユニコーンにしても何となく分かるじゃないですか。あの意味を形にしたのが絵だと思う。
なので僕がというよりは、今の日本を表しているのかなと思います。



天野喜孝氏の作風、作品説明

神話シリーズになると作品がどれも大きい。段々サイズが大きくなっているのは何故か?

結局世界観を出そうと思うと、大きい紙だといろんな圧力が映えるんですよね。
たぶんそれもあるし、一つだと印刷物だと本になったりとかとか複製になりますよね。
そうなると撮影の時に逆に大きくなると嫌がられる。


イラストの場合も僕としては、結構大きい方だと思うんですけども、
あそこまで大きくする必要はないんです。
文庫本だとあんな馬鹿デカく描く必要は全くないんですけど、なんか描きたいサイズなんですよね。
結果的にどんどん大きくなっていっちゃうという傾向としてはあるのかなと思います。


■DEVA LOKAについて

作品『DEVA LOKA』は、天野氏による全く新しい百鬼夜行。
ファイナルファンタジーシリーズでお馴染みのキャラクターたちや、
新しく創生されたモンスターたちが勢いよく湧き出している。


混沌としたビッグバンとかそういう意味もあるそうで、
原画の前に立ち、空間と作品の一体感さは天野氏もオススメしている作品である。


絵の具と自動車用塗料を用いて絵描かれている巨大な作品は、鮮やかな色彩にあふれ、
強い存在感を放っている。今の天野氏だからこそ成し得る新しい美の表現。
サイズは高さ2.4m、横7m、厚み100mm。材質はアルミパネル。


一番大きなサイズでどのくらいのサイズを描いたことがあるのか?

天野喜孝

16m×3mを2枚描いて、ニューヨークで97年にやった時に描いた作品。
キャンパスランプってのを端からバーッと描いていって、確か一つしか時間がなくて1日1m描いた。
それでなんとか仕上がった。
だから飾るスペースが無い。保管するスペースもない。


今は120mのサイズの絵を描いている。
まだまだ全然これからということなんですけど、どうしようかなと思って。飾る所がない。


どんな風に仕上がるかはまだ未定。
もう6・7年前からラフを描いているんですけども、なかなか描くスペースがなくて
今やっとスペースができたんで、そろそろ描き始めて東京オリンピックまでには描きたいなと思っている。


今まで描いた作品の中で一番制作時間が長い作品となる。
締め切りが無いと長くなっちゃうんですよね(笑)


大きな紙に直接描いているが、バランスとかどういう風に描いているのか?

あまりこう考えていないですね。
頭の中にあるやつを紙に表現しているだけなんで、とくに考えていない。


神話シリーズなど空いているスペースが無いくらいビシッと描いているが、
意外と行き当たりばったりなんですよね。
ラフでもそうだけど変に具体的なものが頭の中にあると、それを拒絶する方になる。ましてや大きくなるとね。
ある程度隙間があったほうが楽しいんです。


「あー、どうしようかな」というときに、そこに新しい要素が入ったりとか僕の場合するので。
大まかな流れみたいなものがあったら、あとは一つ一つというのはチョロとやった方がいいですね。
分からないけど大脳と小脳あたりから、小脳の今までの記憶みたいなのがあって、
それが勝手に出てくるみたいな。一々描かないけどね大変なんですよ(笑)


FF2 イメージイラスト FF5 イメージイラスト 作品『ティターニア』

習慣でやってきたことが繰り返し違う形で出てきたりとか。
勝手に自分を分析すると、僕に潜在的にそういったものがどこかにあり、それが出てくるのかもしれない。
それは意識しなくとも出てくるものだと思うんです。


記憶って結構そうじゃないですか。
想ったものは出てこないし、例えばどこかにぶつけると痛いじゃないですか。
そこで痛いと思うわけであって、べつに感じるものだと。それに近い形で。


着色はどうしてるのか?

作品『飛天』 FF9 ブラネ・ラザ・アレクサンドロス16世 作品『アリス・エロチカ 魅惑』

色も気持ちいいかどうかですね。
あまり考えたことが無いんですけども、例えば赤があったとして、そこに少し隙間があったら、
そこに反対色の緑を入れるとスーッと描けたりとか。


そういう色のバランスというよりは、なんだろう…
暑苦しくなったりとか、涼しくなったりとか。例えばブルーというと少し軽やかになるじゃないですか。
でもブルーだけだと冷たくなるから、そこに赤を加えたりとか。
赤だけだと暑苦しくなるから、少し黄色を入れたりとか感覚で。


それはみんな思っていると思うですよね。感覚はこれは気持ちいいなとか。
僕はそれを素直にやっているだけだと思うんです。
そんなに考えないで僕が気持ちいいと想ったものは、人も気持ちいいと想ってくれるんじゃないかなと。
そういうことだなと思うんですけどね。


モノクロ作品について

モノクロはペンと筆で描いている。モノクロの方が楽ですね。形だけで済みますから(笑)
形のバランス、白と黒とか。なので目立たなかったら黒く塗りつぶしちゃえばいいし、
描きたくなかったら白く残せばいいし、それが自由にできるんです。


カラーだと色自体が主張しちゃうので、それはそれで意味があるんですけども。
モノクロってのはモノクロ写真みたいなもので、見る人が勝手に色とか想像する。


子供の落書きじゃないけど、汚すっていう白いところに色で汚しちゃうみたいな。
そういう快感があるんですよね色って。
モノクロの場合は墨を塗るときは気持ちいいんですけども、
形っていうのはかなりこう関係してくるので、モノクロばかり描いているとちょっと荒んでくる(笑)


でも基本はモノクロだと思うんですよ。それに色が付いたのが絵としてもあるでしょうけども。
昔のテレビってモノクロだったんですよ。
そうするとモノクロなりの赤の出し方だとかあって面白いんですよね。
そんな色数はないんです。黒と白とグレーの間ぐらいで。


ある時テレビがカラーになった時に、カラーも実はテレビによって精度が違いますから、
微妙な色が出ないんですよ。
良いテレビなら出るんだけど、小さいテレビは出ないとかあるんで。


色って結構人によって違うというか、機種によって違ってくる。
例えばパソコンの色と実際にプリントアウトされる色が違うとかね。
だから染める色によって生地も適したものがあるじゃないですか。だから面白いですよ色はね。


■天野喜孝氏の色は環境によって絵の色が全然違う

鈴木マネージャーは「本人曰く、僕はモノクロだったら誰にも負けない」と、
よく言っているほど自信あるのだとか。


面白いのは、天野さんがニューヨークで描いている絵とパリで描いている絵の色が全然違うんです。
ニューヨークはセントラルヒーリング的な色というか、オートマチックというか乾いた感じ。
パリの方はちょっとくすんでいるというか、グレーが入った感じ。
でも太陽の色が違うと思うんですと話していた。


画材について

Candy Girl(キャンディー・ガール) Candy Girl(キャンディー・ガール)

画材をいろいろと変えることによって、表現できないものが出てくるんです。
その部分が味になったり、例えば細い線とかいっぱい描かないといけないじゃないですか。
太い線になってればそれでもう終わっちゃうし、面積と比例みたいなものは面白いです。


例えば画材っていうのは、アルミは冷たい感じがするんですよね。
あれをCandy Girl(キャンディー・ガール)を木に描いちゃうと暖かみが出るんです。神話にしても。
なのであえて金属に描くということで未来的な感じが出るのかなとか、
そういうのは感じるんですよね。見る方がね。


もっと神話的なクラシックな感じだと金箔。金の方がいいかなと。また同じ作品でも違ってくる。
いろんなことを試すと面白いです。
まったく新しい素材とか、材料とかあると思うんですよね。


今面白いなと思うものは生地とかね。染め物のあれとか、テカリがあったり。
新しい素材を使って作品を表現できないかなと思うんですよね。


作品『アリス』 ヒーロー

アルミパネルに描いている作品には、車のトリオを使って色を塗っている。
唯一観てもらいたいのがラメ色は印刷に映らない。


アリスの作品は、アリスが大きくなって狭い中でギュウギュウってなるシーンなんです。
あの作品の前に立つと自分が小さくなるという、あれが2.4mあるんで、自分が小さくなって見える。
あれはオリジナルの前に立ってもらわないと、それは体験というかわからないのかなと思う。


同じ系統の絵ばかり描いて、息抜きで他のものを描くということはあるのか?

ありますね。大体そっちのパターンが多いですね。
今は締め切り仕事は、締め切り仕事でやっているんですけども、
そうじゃないこともやっていたりとか、いろいろ同時に場所を変えたりとかして飽きないんですよね。
場所が違うと違うものが発想してくるとか。


情報は僕はあまり信用はしない。その場所に行ったときにどう感じるかということで。
やっぱり僕のような物を作る人間は、感動しただけじゃなくて、何かの形で作品の中に入れないと
全く意味がないんじゃないかなって。自分だけ良くてもね。


だから何かに転換して表現するようにしないと、意味が無いのかなと思うんですよね。
そうなってくるとその場所で感じたものを作品にするのが、自分にとっては大事なのかと思います。


金箔の作品や天井に飾ってある作品について

屏風の絵は金箔もあるし、本物の金じゃないものもある。
今の作品には本物の金を貼ってもらって、昔のやつは本物の金じゃないです。
風神・雷神は本物。


天井に飾ってある作品は、大好きな作品なのでいっつも飾りたいと言うが飾る場所がなく、
効果的に見せられる場所がなかった。
絵の真下にはソファーがあり、そこに寝転がってもらって観てもらいたいというのが天野氏の意見である。


作品のキッカケはパリのホテルに泊まったときに天井に絵が描いてあって、
それをベットから見た時にボンヤリと明かりが点いていて、それがすごい気持ち良かった。
「ああ、そうか」と。それが発想であれを描いた。
寝るときに気持ちが良いなという感じを出したいがために描いた作品です。


西洋・東洋ファンタジー、和テイスト作品について

座頭市 フランス版DVDパッケージイラスト 作品『花と蛇』 FF1 イメージイラスト

日本だと西洋的なものがちょっと不思議な感じなものがファンタジーぽいですよね。
アーサー王とかそうですし、北欧神話とかもファンタジー感がしますよね。
僕もやっぱり凄い好きでやってて。


逆に西洋の人から見たら、日本の侍とかはファンタジーなんでしょうね。
ファンタジーというのは異文化に対しての違和感というか、
憧れみたいなものがファンタジーという風になるので、僕は日本的なものというのは当たり前すぎで、
あまり好きじゃなかったんですけど、段々と日本的なものが良いなと思った。


でもあまりにも日本的なものはよく分からないんですよね。
着物とかもよく分からないし、源氏物語なんかも大丈夫かなと思ってたんですけど、
まあいいやと思ってファッションの一部として描いちゃったみたいな。


作品『源氏物語 末摘花』 作品『源氏物語 明石の君』 作品『源氏物語 六条の御息所』

でも日本的になっちゃうんですよね。
西洋風にとか意識しないで。模様とかもね。
だから、その辺りのバランスは「ああ、日本人なんだな」というのはありますね。


■天野喜孝氏の作品はハーフ?

鈴木マネージャーが話すには、天野さんと各国へ行っているが海外では「東洋的だ」と言われる。
でも、唯一日本の方だけは「西洋ぽい」と言うんですよ。
だから西洋人からすれば東洋ぽい。
ハーフじゃないけど、ミックスされているんじゃないですかねと語っていた。


天野氏は僕というより、今の日本がそうじゃないですかね。
今の日本がそのまま当てはまるんじゃないかなと考察している。


N.Y SALAD(ニューヨーク・サラダ)について

公式:http://www.nysalad.net/

公式:http://yasainoyousei.jp/


N.Y SALAD(ニューヨーク・サラダ)を作品にするキッカケは、
アトリエが倉庫にあり、夜中12時過ぎぐらいに腹が減って自分でパスタを作ろうと思い
ニンニクの皮をむいたら時に妖精に見えた。むいた白い皮が羽に見えた。
ツルっと中から出てくる中のニンニクが可愛かった。それがニューヨーク・サラダのルーツ。


それでスケッチしてたりとかして、その後に2時か3時くらいに寝て目が覚めて朝になって。
自分がそういう生活をしていたので、夜中のうちに台所にその野菜のいろんなニンニクとか
出てきてパーティーやったら面白いんじゃないかなというのがあった。


ニューヨーク・サラダ

ニューヨークのアトリエでリトグラフで描いてた。
ちゃんとした大きいサイズで描いてて、切り裂いたアルミに描くんですけども、
それにスケッチをしながら描いたのがあれで、何百枚か描いた。


それが溜まってどうしようかって、鈴木に見せたらONにしましょうみたいな。
自費出版で雑誌を作ったのがキッカケなんですね。
N.Y SALADは仕事で描いてた訳じゃない。全部遊びというか、息抜きで描いた絵。


その後、映像化にしようと話になって、3Dで作りたいって言ってくれたところがあった。
それが元で最終的にNHKで『やさいのようせい』という3Dアニメーションになった。
じゃあ主人公どうしようかとかミーティングを重ね、ニューヨークのテイストを表現したかった。


■舞台構成

昼間になると朝になると、みんな居ないと。
妖精ってのはイギリスのいろんな話を読むと、昼間にいなくなるとか、
人が見ても影にいるとかあるんですよね妖精って。


それもあって満月の夜に、妖精たちの時間になると妖精の舞台が始まる。
そうゆうのを含めて夜の世界で、昼間になると誰もいなくなっちゃうと。
それをやっていたんです。


そのアトリエの中から出れないと。
アトリエから出るってことはあるんでしょうけど、あくまでも中の世界。
だから台所の流しの中だけの話とかもあるんです。

N.Y SALAD

■芽キャベツの妖精について

知っている人も多いと思うけどれも、芽キャベツって段々と乾いてくると
表面が起き上がってくるんです。それで羽ぽくなるんですよ。
僕もあれスケッチしているときに、スケッチすると食べれないというかたくさんあるので、
一週間ぐらい置いておくとしなっちゃって。それが妖精の羽みたく見えた。


小さい絵だが、ニューヨークサラダの芽キャベツのスケッチがある。
段々と妖精になっていく絵で、芽キャベツが妖精になってきて「あ、飛んだな」という感じの作品。


『こたつ』について

こたつ

『こたつ』の作品が生まれたキッカケは年賀状。
辰年の年賀状に絵を描いたのが最初。小さい辰だから『こたつ』なんです。


それが発想で講談社のシンボル的なキャラクターになって、その時にいろんな形で出した。
そして積もり積もって絵本とかにもなったんですけども、全部名前に「」を付けるんです。
で、仲間でココモドウオオトカゲがいるんですよ。


クレヨンで絵を描くと、細かい部分が描けないので楽しいんです。
こたつはパステルにクレヨンで描いた。
そうすると細かいことできないんでシンプルにならざるを得ない。それが面白いんですよ。


天野喜孝氏が新潟バージョンCandy Girlを描く実演

会場では天野氏が、新潟バージョンのCandy Girlを描く実演が行われた。
帽子というかアクセサリーの部分が、新潟県の『』をデザインしたもの。
オブジェクトに貼り付けられた布に、筆ペンだけで描いてました。
墨が布に吸われて描けないというトラブルもあったが、約3分ぐらいでササッとCandy Girlを描いた。




観客から質問に答える天野喜孝氏の回答

誰かをモデルにして描いたキャラクターはいるのか?

Candy Girl Candy Girl

具体的にはいないが、例えばCandy Girlのモデルは身近な人。テレビを観たり、
街を歩いてて気になった人というか、何となく記憶に残っている髪型とか色とかはボンヤリと残っている。
Candy Girl自体は今の東京の女の子になるのでボンヤリと影響はされますけど、
直接それをそのままという感じでは描いていない。


ロックスターのデヴィッド・ボウイのイワンさん(妻)を描いた時があって、
よくスケッチさせてもらって描いたりとか、モデルさんに言ってスケッチしてクロッキーしたりと
実在するモデルはいる。


服の方は、ディオールオムというディオールで初めて男物を出すということがあって、
デヴィッド・ボウイがコートを着てギターを持って歌っている絵があるが、
ディオールの革製の白いコートだったので実在する服もある。


■羽生結弦選手を描いたのは、実は天野喜孝氏の間違いだった

フィギュアスケートの羽生結弦選手を仕事で描いたときがあったが、
当時は陰陽師のCDジャケットの仕事の依頼があり、陰陽師なので安倍晴明を描いてくれと依頼を受けた。
たまたま羽生選手が、大会中フリープログラムの演目で踊る曲(SEIMEI)だったため、
天野氏は間違えて羽生選手を描いてしまった!


天野氏は当時パリに居た。羽生選手をイメージして描いた作品がそろそろ締め切りだったので、
「パリで描いてきたよ」と作品を提出したら凍りつかれた。
聞き間違いだと知り「えー、どうしよう…」と思いながらも、
次の日取りに来ると言ったので安倍晴明を描いて提出した。


なので羽生選手を描いたのは間違いだったが、イメージして描かれた絵は本人にも似てるし、
絵も凄かったのでポスターにさせてくださいと言われた。
CD発売当時は、スペシャルサイトで羽生結弦選手のイメージ画が公開されていた。


小説作家の挿絵など多く描かれているが、作家によりどのような注文を付けられるのか?

作品『夢なりし”D”』 作品『江戸川乱歩推理文庫 悪人志願』 作品『ヤヌスの戦い』

注文は一切無い。僕の場合は作家と直接会って打ち合わせとかはなく、
本が出版される前に物語を読んで中の挿絵を描いたり、表紙を描いたりしている。
結構自由に最初の読者という感じで、純粋に物語を読んだときのイメージを描いている。


長く続く雑誌の連載などは、例えば現在が今週の木曜日で締め切りが金曜日だとすると、
まだ文章が上がってこない状態になる。
でも長く続く作品だと主人公とか周りの人物が大体分かっているので、
それを描こうということでピンナップを描いたりしたことが多々あった。


そうすると物語を絵にするという部分は当然あるんですけども、
もっとイメージ的なものを描いたときもあって、実はそれはそれで結構楽しいですよね。


世の中に出ない作品もあると思うが、夢枕獏氏と作った『桃色ももたろう』は個展で見れないのか?

天野喜孝

桃色ももたろうは実はお互い一晩でできた作品で、陶芸というか土に描いた。
夢枕獏氏が土を切って板にして、それに天野氏が桃色ももたろうを描いた。
そして次の日の朝までに物語を作って完成したという、すごくプライベートな作品なんですよね(笑)


そこに陶芸家の三代・叶松谷氏が加わり、土で桃を作って開けると何かがあって…
言えないんですけど、すごく遊んじゃった作品です。

土の板に描いた絵は桃色作品ではあるが、エグくはないので展示が難しい訳ではなく、
今どこにあるんだろ…どっかにあったと思うけど、今度展示しましょうか?(笑)


■天野喜孝氏が語る『桃色ももたろう』のストーリー

物語はお爺さんとお婆さんがおりまして、桃太郎も大きくなっていく。
お爺さん・お婆さんは若い年齢で、お婆さんは実は5歳。


桃太郎がある晩に夜中に目が覚めて、寝室から変な声が聞こえるので覗いた。
そうすると、お爺さんとお婆さんが何かしてまして(笑)
桃太郎が「何してんの?」と聞いたら、お爺さんが「鬼退治だ」と答えた。


そして桃太郎が大きくなって、「僕も鬼退治に行く」と言って鬼ヶ島へ行った。
鬼ヶ島はすごい場所で酒池肉林の感じで全員女だった。
キジと猿を連れて鬼ヶ島へ行ったが、鬼を何人か連れて、お爺さんのお土産として持って帰って来た。
そしたらお爺さんが喜んだというお話。


■夢枕獏公式HPの内容

天野喜孝先生が○○○シーンを描いた21枚の絵皿からなる、
ちょっとエッチな童話作品と紹介しているが天野氏の作品はまだ掲載されていない。
サイトが更新されておらず、夢枕獏氏の酔魚亭ブログから推測すると5・6年前の出来事かと思われる。

http://www.digiadv.co.jp/baku/north/momo/index.html


若いアーティストの作品は自分で上手いかどうか分からずに迷いが出るが、若いアーティストに一言

若いアーティストと言ってもいっぱいいますから、一人一人は違うと思うんですね。
だから、全部自分でやるしかないと思うんですよね。絶対それは誰もやってくれませんから。
それが第1で、もう一つは僕の場合でしか分からないですけど自分が好きかどうか
自分が描いた絵を好きかどうか、それが一番大事だね。


自分が好きならばよっぽど変じゃない限り、人も良いと思うんですよね。
それは美味しいものと同じで、やっぱ美味しいものは美味しいじゃないですか。


人によってそうじゃない人もいるでしょうけども、
「何で美味しいか?」と言ったら、やっぱり味付けがちゃんとあるだとか、何か揃えが良いとか、
いろんな要素がそこにあるんです。
だからまず自分で良いと思うものを描けばいいと思う、作ればいいと思う。


天野喜孝さんは『いなかっぺ大将』『ハクション大魔王』を描いていたのか?

いなかっぺ大将は、僕は描いてません。
同じタツノコだったんですけども、いろんなセクションがあった。

ハクション大魔王のときは、キャラクターというよりはアニメーターとして原画を描いてました。
だからハクション大魔王は今でも描けます。



今までたくさんのキャラクターを描いてきて、その中で一番はどれか?
ファイナルファンタジーで一番想い入れのあるキャラクターは誰か?

今までたくさんのキャラクターを描いてきて、その中で一番はどれか?の質問は、
難しいです(笑)」と一言だけいって終了。


ファイナルファンタジーで一番想い入れのあるキャラクターは、ときどき聞かれる質問なんですけど、
いろいろその時に考えていろんなものが浮かぶんですけども、んーなんだろう…。
好きというか描きたい作品になるんですよね。


FF6のパッケージイラスト、作品『街』 FF6 イメージイラスト

そうするとやはりFF6のティナが、なんか僕はCandy Girlぽいところもあるし、可愛らしいし、
一番こう…仕事じゃなくて描くことが多いです。
例えばサイン色紙を頼まれて「何でもいいですよ」と頼まれて、ティナを描いたりとかするんですよね。
あとモグは描いて楽ですから(笑) ファイナルファンタジーだとその辺かな。


■キャラクターの名前を言われても覚えていない

サインを頼まれる時はFFシリーズの絵を頼まれることが多い。
キャラクターの名前を言われても、「えっ?」と覚えていないときがある。
いっぱいありすぎて何だったかなと思って。


フランスに行ったときにサイン会があって、
その時に翻訳の訳し方が「若者と竜」を描いてと言われることが多かった。
竜描いて男を描いてと言うフランス人が多かったので、
後々で段々と「あれ?これって竜騎士のことかな…」と気づいた時があった。


そういうことはありましたね。
竜騎士ぐらいは僕覚えてますけどね。もっと違うものだったのかと。
逆に画像を見せてもらって「これか!」という感じで描いたことがある。
鈴木マネージャーは、リクエストがあるなら画像持って来いと言っている。



■描いてくださいと言われても、すぐには描けないなというキャラクターもいますよね?

面倒くさいですね(笑)
キャラクターはそんなに面倒くさいキャラクターは出ないと思うんですけども、
時間が限られてますから、絵ってどうやって楽するかと僕の場合ですけどね。
たくさん群集を描いてくれって頼まれると大変ですし。


あとクリスタルのブルーの絵はFF25周年のやつで、今までのキャラクターが全部描いてある。
いっぱい歴代のファイナルファンタジーを描いて、主人公とヒロインとかその辺の位置関係もあるんで、
真ん中にクリスタルがあって、あれはね…何かもう、面倒くさかった(笑)
出来上がったものは、やっぱりやって良かったと思うんですけども、そうなりますね。


アクリル画だけでなく、シルクスクリーンやリトグラフの版画作品とかを何故やろうと思ったのか?
これからやってみたい挑戦してみたい技法はあるか?

FF7 イメージイラスト、シルクスクリーン シルクスクリーンのハッチ 作品『メルヘン』

原画として描いたものがイラストとして、本になる時って本はそんなに大きくないですよね。
原画の大きさで発表したいなと思って、リトグラフだったらリトグラフ自体が、
目的というか完結するのでリトグラフをやりました。
で、版画工房に通ってそこで描いたりしてて、その繋がりというか、それでシルクスクリーンとかやり始めた。


丁度その頃、ファイナルファンタジーのFF6とかFF7の頃に、FF6はリトグラフで複製やったりとか、
FF7は最初からリトグラフで描いたりしてた。あの色の感じが原画では出せないので。


どんどんやっていくうちにパリで、版画工房に行ってやってたりして
リトグラフとシルクってはすごい好きで、ニューヨーク・サラダもリトグラフですよね。
あれはニューヨークの時に版画工房を自分のアトリエを作っちゃいまして、それでやったやつなんですね。


FF10のユウナ リトグラフ、作品『水夢』 リトグラフ、手彩、紙、作品『シンデレラ』

千枚から二千枚ぐらいシルクやったんですね。
さすがに「もういいかな」と思って最近やってないんですけど(笑)

今ある技法は大体やったんですよね。知ってるものは。
だから、逆にそれが何かあったら良いなと思うんですよね。


実は焼き物というかそれも陶磁器に描いたりして、焼いた時の変わりとかそれはそれで面白いんですよ。
だからそれもやったし何かないかな…

あれも新しい試みとしてやった作品なんです。今はやってるのは和紙です。
和紙に墨で描いたりとかが多いですね。そこに金箔を貼ったりとか。




夢を追いかけてる方々に天野さんからの最後にアドバイス

こういった仕事はどうやったらなれるのか?

天野喜孝

これは当たり前のことだと思うんですけども、誰もやってくれません。自分じゃないと。
誰も宛てにというか…誰かがやってくれる分けじゃないので、
自分で思ったことを自分でコツコツやるしかないので。


で、その方が自分の時間だしね。自分のペースでいけるので。
とにかく持ち続けてコツコツというか、じゃなくてもいいんですけども。


誰かがやってくれないんです。自分のことは自分が一番分かっていると思うですよね。
僕も人のこと言うこと聞いてない今まで。だいたい反対されるんですよ。人はね。


そらそうですよね。
アニメーションからやっている時も「なんで?」みたいな。少し聞いて、ちゃんとサラリーマンでね。
「そこで辞めていくの?」みたいな言われるし、ほんと人はね分かってくれてないんですよね。


自分のことは自分が一番分かってるので、自分を信じてやってください。
それだけです。




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