近藤勇勇(船越英一郎)
維新でのキャラ名 | 近藤勇(こんどう いさみ) |
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龍が如くでの配役キャラ | 俳優 |
龍が如くシリーズ登場作品 | 初登場 |
声優 | 船越英一郎 |
- 近藤勇について
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- 新選組 局長
- 虚実入り混じる謎の”不在局長”
新選組の頂点『局長』であり、本来無法者の集団に過ぎない新選組を
一大組織へまとめ上げた世にも稀な手腕を持つ男。
しかし新選組の屯所には滅多に姿を現さず、
隊長格でさえ近藤の顔を見たことがない、という者がいるほど。
そのため、近藤については隊士の間でも噂が絶えず、
『昼間から遊郭で飲んでいる』と言う者もいれば、『近藤は実は既に死んでいる』などと言う者もいて、
憶測が飛び交わっている。
果たして、龍馬の前にこの男が姿を現わす時は来るのか……
■史実における人物像
■生没年1834〜1868年、農民出身
近藤勇は武士の家柄ではなく、多摩(東京)で農業を営む3男として生まれる。
15歳のときに江戸市ヶ谷にあった天然理心流(てんねんりしんりゅう)道場の試衛館に弟子入り。
わずか七ヶ月で目録を与えられ、剣術の才能があったようだ。
道場主の近藤周助には実子がいなかったので、養子として迎えられて
1861年8月には天然理心流の4代目当主となった。
試衛館には土方歳三、沖田総司、永倉新八、井上源三郎、藤堂平助などがおり
1863年3月には討幕のため浪士組を募集した際に、彼らも参加して京都で新選組が誕生した。
もう一つの新選組の悪評が高かったグループの芹沢鴨を暗殺して
新選組の実権を一手に治め掌握できた。
新選組の活躍により尊王攘夷派からは恐られ、京都の治安維持に奔走した。
1864年6月には、尊王攘夷派の浪士たちを一掃しようと池田屋事件を実行する。
池田屋に乗り込むと浪士20人余りいたが、10人以上の浪士を斬り殺し
クーデターを企てていた計画を未然に阻止することができ、新選組の名が世の中に広まった。
歴史に名を残した新選組だが、1868年正月の鳥羽・伏見の戦いでは新政府軍に敗れる。
意見の違いから永倉新八、原田左之助らとは離別し、
4月には新政府軍に包囲されて投降を余儀なくされた。
享年35歳、東山道総督府の本営のある板橋にて処刑されて亡くなった。
土方歳三(峯義孝)
維新でのキャラ名 | 土方歳三(ひじかた としぞう) |
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龍が如くでの配役キャラ | 峯義孝(みね よしたか) |
龍が如くシリーズ登場作品 | 龍が如く3 |
33歳(龍が如く3)、185cm、80kg、A型 | |
東城会直系白峯会の会長。 もともとは企業経営者に過ぎなかったが、三代目錦山組組長の神田強の紹介により 東城会へ入ることなった。堂島大吾とは兄弟分にあたる。 背中には麒麟の刺青を彫っている。 子供の頃は孤児として育ち、貧乏且つ友達にはいじめられて育ったため お金に対する執着心が大きく頭脳明晰。 株取引や不動産業で莫大な利益を上げているため東城会の幹部にまでのし上がる。 お金で買えないものはないと思っていたが、人からの絆においては部下からも買えず 大人になっても疎外感だけは残った。 しかしながら峯が殺害しようとしていた堂島大吾からは絆があったようで、ケジメを取ろうとして 裏でつるんでいたアンドレ・リチャードソンを羽交い絞めにしながら、共にビルから飛び降り自殺。 |
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声優 | 中村獅童 |
- 土方歳三について
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- 新選組 副長
- 冷酷無情な”鬼の副長”
新選組のNo.2である副長として、常に不在の近藤に代わり組の実務を取り仕切る。
その支配体制は、『法度』と呼ばれる掟を作り、
それに反した藩士を容赦なく処分するというもので、隊長といえど土方に逆らうことは許されない。
その冷酷さに加え、滅多に表情を変えないことから、
隊士の間では密かに『鬼の副長』とあだ名されている。
戦闘では先陣切って刀を振るい、敵を片っ端から斬りまくる。
その様子はまさに鬼そのものであり、強さが全ての新選組のおいて隊士を束ねる大きなより所となっている。
新選組の門を叩いた龍馬に対して、土方はある提案をする。
それが龍馬の人生のみならず、日本の行く末にも大きな影響を与えることになる。
■史実における人物像
■生没年1835〜1869年、農民出身
近藤勇と同じく多摩(東京)の農民の4男として生まれる。
武士になりたいと願っていたので、17歳のときに江戸に出て
近藤周助に弟子入りし天然理心流を学ぶ。
そこで出会った近藤勇と知り合いになり意気投合。
京都で新選組が結成されると土方歳三は副長となり、近藤勇の右腕となった。
近藤を支えてきたが、近藤が新政府軍に捕えられ斬首されると
土方は残党を率いて死に場所を求めるかの如く各地で戦をした。
最後まで新政府軍へ抵抗しつづけてきた土方だが、
明治2年(1869年5月11日)、箱館戦争で銃撃を浴びて亡くなった。享年35歳。
土方歳三は、戦にビビって逃げる仲間を斬り殺したりと
裏切ろうとするものは仲間であろうと容赦なく斬るので、冷酷な人物だったといわれる。
それ故、『鬼の副長』とも呼ばれる。
一方、京都の遊女には美男子だったようで人気があったのだとか。
伊東甲子太郎(浜崎豪)
維新でのキャラ名 | 伊東甲子太郎(いとう かしたろう) |
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龍が如くでの配役キャラ | 浜崎豪(はまざき ごう) |
龍が如くシリーズ登場作品 | 龍が如く3、4 |
51歳(龍が如く4)、193cm、99kg、O型 | |
東城会直系浜崎組組長。東城会若頭補佐の一人。 横浜の中華街周辺を支配し『ハマの帝王』と呼ばれる。 浜崎組の構成員は数人程度しかいないが、沖縄リゾート開発に関わる権利を交換条件に 中国マフィア・蛇華(じゃか)と手を結んでいた。 密かに東城会のトップを狙っていたが 蛇華の日本支部をやっていた劉家龍(ラウ・カーロン)が風間譲二に銃殺され、 蛇華に報復を受けて浜崎組は壊滅した。 すべてを失った浜崎豪は桐生一馬の脇腹をドスで刺して刑務所行き。 龍が如く4では冴島大河と沖縄にある刑務所で出会い、共謀して脱獄する。 脱獄後は、桐生、冴島靖子と遭遇して警官達に追われて建物を脱出する際に 背中を銃で撃たれていて、桐生へ「警察から東城会を守ってくれ」と言い残し亡くなった。 |
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声優 | 高橋ジョージ |
- 伊東甲子太郎について
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- 新選組 参謀
- 知略巡らす新選組の頭脳
新選組のNo.3。直接戦闘には加わらず、
隊の戦略立案や指揮をとることに特化した立場で新選組の頭脳と言える。
丁寧な態度や言葉遣いとは裏腹に、常に他者を出し抜くことを考えており
新選組をいずれ自分のものにすべく隊内での政治工作を進めている。
伊東の誘いに乗り、隊長の中にも伊東派になびいた者がいるという。
表面上は土方の命令に従っているが、両者が激突する日は遠くない。
■史実における人物像
■生没年1835〜1867年、志筑藩出身
志筑藩(しづき)の郷目付の長男として生まれる。
水戸で水戸学と神道無念流剣術を学び、江戸に出て伊藤誠一郎の道場で北辰一刀流を学ぶ。
道場主が亡くなると、門人らの勧めもあり伊東甲子太郎が道場を引き継ぐ。
1864年に、藤堂平助の誘いがあって新選組に入隊する。
しかし伊藤は尊王攘夷思想の大元となる水戸学を学んでいたため、
佐幕派の新選組とは意見が違っているので、藤堂平助とともに脱退した。
近藤勇を暗殺して新選組を尊王攘夷派に引き込もうと計画していたが、
その内容は斉藤一が近藤勇へ密告していたので見破られる。
その後、伊藤は新選組により暗殺された。
沖田総司(真島吾朗)
維新でのキャラ名 | 沖田総司(おきた そうじ) |
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龍が如くでの配役キャラ | 真島吾朗(まじま ごろう) |
龍が如くシリーズ登場作品 | 全シリーズ |
45歳(龍が如く4)、186cm、80kg、AB型 | |
龍が如く1の頃は、武闘派で知られる東城会直系嶋野組の特攻役を務めていたこともあり 『嶋野の狂犬』と呼ばれ恐れられていた。冴島大河とは兄弟分にあたる。 左目に眼帯をしているのは冴島と共に上野吉春を襲撃する際に、 東城会直系柴田組にハメられて、真島が拉致られたときにナイフで刺されて左目を失った。 龍が如く5では黒澤の陰謀を察知しようとして堂島大吾と協力して、 東城会内部の裏切り者を炙り出そうとしていた。かつては朴と結婚していたが離婚。 強い奴が好きらしいが、実際は桐生一馬だけが好きなのかもしれない… 背中には般若と蛇の刺青を彫っている。 |
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声優 | 宇垣秀成 |
- 沖田総司について
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- 新選組 一番隊隊長
- 返り血に染まる新選組最強の男
幕末最強を誇る新選組の中でも最強と呼ばれる男。
強い相手と命を賭けた闘いに臨むことが何よりの喜びであり、沖田に斬られた志士の数は計り知れない。
その結果、あさぎ色の羽織は返り血で汚れ、まがまがしい雰囲気をまき散らしている。
その圧倒的強さ故に、厳格な新選組の決まり事ないがしろにできる唯一の男であり
土方も沖田だけは制御しきれずにいる。
血染めの羽織に眼帯、そして奇抜な髪形。
そして自ら『美少年』と称してはばからない厚顔無恥なこの男。
沖田が土佐一の使い手龍馬と出会った時……
どちらかの血が流れるのはまぬがれない。
■史実における人物像
■生没年1842〜1868年、白河藩出身
沖田総司は、白河藩士の長男として江戸に生まれる。
両親は早くから亡くなり、姉のミツ育てられた。
9歳になると近藤周助の天然理心流の道場である試衛館に内弟子として預けられた。
沖田は天才だったようで、19歳には免許皆伝して塾頭を務めるほどだった。
新選組の中でも1・2位を争うほど剣の使い手。
沖田が本気を出せば、師匠である近藤周助でさえかなわないとすら噂される。
同じ試衛館にいたので新選組が結成された際は沖田も加わり、
池田屋事件をはじめ活躍してきた。
しかし沖田は肺に結核があり、池田屋事件では激しい斬り合いの後に倒れて運び出される。
結局は病には勝てず、1868年5月31日に亡くなった。
沖田は真面目で冗談を言って笑ってばかりいる性格。
女遊びはしなかったが酒は飲んでいた。
子供が好きで鬼ごっこをして遊んでいたと伝わる。
尚、沖田が美男子であったかどうかは伝承にはないらしい。