坂本龍馬、斉藤一(桐生一馬)
維新でのキャラ名 | 坂本龍馬(さかもと りょうま)、斉藤一(さいとう はじめ) |
---|---|
龍が如くでの配役キャラ | 桐生一馬(きりゅう かずま) |
龍が如くシリーズ登場作品 | 全シリーズ |
41歳(龍が如く4)、184cm、88kg、O型、横浜出身 | |
クロヒョウシリーズを除き、龍が如くシリーズの総主人公。 構成員3万人を数える関東最大の極道組織『東城会』の四代目会長。 東城会から足を洗ってからは、最愛の女性だった澤村由美(故人)の娘である遥とともに、 沖縄にある養護施設『アサガオ』を経営し、子供達と穏やかに暮らしていた。 龍が如く5では遥がアイドルになりたかったので沖縄を離れ、 福岡・永洲街で鈴木太一と偽名を名乗り、タクシードライバーをして生活する。 背中には龍の刺青を彫っている。 |
|
声優 | 黒田崇矢 |
- 坂本龍馬、斉藤一について
-
■坂本龍馬 - 土佐藩郷士
- 成すべき事を求めあがく土佐の”龍”
■斉藤一 - 新選組 三番隊隊長
- すべてが謎に包まれた壬生の”狼”
■坂本龍馬
土佐でも最も身分の低い『郷士』(武士階級で下層の地位)の生まれ。
武市半平太らと同じ境遇の若者たちが藩を変えるべく奔走する中、
自分の成すべき事を見出せず苦悩している。
だがその剣の腕は土佐でも随一で、江戸での剣術修行を許されるほど。
その剣の腕を見込まれ吉田東洋、武市半平太とともに、藩の改革に向けて動き出すことになるが
全ての準備が整った改命前夜にある事件が起き、龍馬の人生は多く動き始める。
■斉藤一
出生の全てが不明で、本名すら定かではない謎の浪人。
酒と博打に明け暮れる世捨て人のような暮らし振りで、
定宿『寺田屋』の女中からはいつも嫌味を言われている。
しかしその正体は吉田東洋の殺害犯を追うために名を捨て、京に潜伏している坂本龍馬その人である。
一年に渡る執念の調査の結果、全ての謎が新選組にあると察した龍馬は、
独り血に飢えた狼の群れに足を踏み入れるのだった。
■史実における人物像
■坂本龍馬、生没年1835〜1867年、土佐藩出身
坂本龍馬は土佐藩の商家の5人兄弟の末っ子として生まれる。
19歳のときに江戸に出て剣術を学び、北辰一刀流の免許を授かっている。
なので、そこそこ一流の剣客の腕はあったようだ。
桜田門外の変後は幕府の権力に失墜し、
武市瑞山が結成した尊王攘夷派(討幕運動)の組織である『土佐勤王党』に加盟した。
しかし不満があったようで、土佐を脱藩すると浪士となり諸国を放浪する。
江戸へ赴くと勝海舟と出会い、龍馬の人生観が変わる。
世界の広さを知り、勝海舟の弟子になり航海術を学ぶ。
同志を集めて海援隊の前身となる亀山社中を長崎で結成する。
洋式の船を所有し、船を使って交易・運搬のような仕事をして営業・事業拡大をする。
土佐藩の援助を受けて50名ほどの隊士が集まり海援隊が誕生する。
海援隊は『土佐藩を海から助ける』隊という意味が込められている。
時代の先を見据えて当時、犬猿の仲であった長州藩と薩摩藩を結びつける薩長同盟や
大政奉還の実現のため奔走した。
しかし恨みも買っていたためか、大政奉還から一か月後に
慶応3年(1867年11月15日)に京都の近江屋にて暗殺された。享年33歳。
■斉藤一、生没年1844〜1915年
新選組に入隊する前の頃の資料はあまり残っておらず、
出身は江戸とされるが、会津出身という死霊もあり疑問視されている。
藤田家の家伝によれば10代終わりに人を斬ってしまい、江戸から京都へ逃亡する。
京都の聖徳太子流剣術道場の師範代を務めてたが、
永倉新八の日記によれば江戸にある近藤勇の天然理心流試衛館にも出入りしていたようだ。
謎の多い斉藤一だが、京都で新選組の結成に加わった。
剣の腕は永倉新八、沖田総司の次に強いようだ。
長州藩の間者だった御倉伊勢武、荒木田左馬之助、武田観柳斎、
谷三十郎の暗殺にも関与したらしい。
伊藤甲子太郎らが新選組から脱退したときは、近藤勇の命を受けて間者として彼らに従う。
そして近藤暗殺計画を新選組に密告する役目を担っていた。
伊藤甲子太郎暗殺後は『山口次郎』と改名する。
鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼戦争、会津戦争に参加。
会津では負傷した土方歳三に代わって、一時期は新選組の隊長を務める。
会津落城後は斗南藩に配流され『一戸伝八』と改名する。
明治維新後は旧会津藩士として前歴を隠して生きた。
その後は、『藤田五郎』と名前を変えて東京に移住して警視庁で働く。
1891年に警視庁を退職後は学校で働き、大正4年(1915年)に亡くなった。
武市半平太(高橋克典)
維新でのキャラ名 | 武市半平太(たけち はんぺいた) |
---|---|
龍が如くでの配役キャラ | 俳優 |
龍が如くシリーズ登場作品 | 初登場 |
声優 | 高橋克典 |
- 武市半平太について
-
- 土佐勤王党 盟主
- 革命組織を束ねる龍馬の兄貴分
龍馬と同じ境遇に生まれ、幼い頃から龍馬を守ってきた兄貴分。
ともに吉田東洋に見込まれ、支援を受けて成長した。
東洋の支援により先進的な学問を修め、それを吸収する高い知性を備えるが、
才気走ったところがなく器の大きさを感じさせる男。
剣を取っても土佐最強とうたわれる龍馬に引けを取らないほどの腕前。
土佐勤王党にそんな武市を慕って参加したものも多い。
江戸から帰った龍馬を土佐勤王党へ招き、盟主に次ぐ席である『筆頭』を任せるほど
龍馬とは深い信頼関係にある。
しかし、育ての親・吉田東洋の死を巡り、
龍馬と武市は初めてそれぞれ違う道を歩むことになるのだった……
■史実における人物像
■生没年1829〜1865年、土佐藩出身
武市瑞山(たけち ずいざん)、または武市半平太と呼ばれる。
坂本龍馬と同じく土佐藩の郷士の身分の出身。
1861年8月に郷土の同志を集め、33歳のときに土佐勤王党を結成した。
その数は192名にもなり、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村虎太郎なども参加する。
龍馬を始めとし、郷士たちが脱藩するなかで武市はあくまでも土佐藩に残った。
前藩主・山内容堂や吉田東洋らに藩政を握られていたため、思うように活動できなったのである。
武市はは党員の那須信吾らに命じ、吉田東洋を暗殺させた。
公武合体論の改革派の実権を握り、16代土佐藩主・山内豊範の上洛の実現に成功したが、
8月18日の政変で京都の尊王攘夷派の面々が弾圧され衰退。
土佐藩でも佐幕派が巻き返し、土佐勤王党は弾圧される。
吉田東洋暗殺の疑惑を否定し、土佐勤王党の勢力を拡大させていったが天下は長く続かなかった。
岡田以蔵らなど次々と同志が捕縛され、土佐勤王党の犯行が明るみになると
武市も捕らわれの身となり最後は切腹を命じられた。勤王党の求心力は衰え解散。
吉田東洋(風間新太郎)
維新でのキャラ名 | 吉田東洋(よしだ とうよう) |
---|---|
龍が如くでの配役キャラ | 風間新太郎(かざま しんたろう) |
龍が如くシリーズ登場作品 | 龍が如く1、2 |
60歳(龍が如く1)、177cm、70kg | |
東城会二代目会長・堂島宗兵(故人)がいた組織のときの東城会直系風間組長。 ヤクザだが義理人情が厚く、神室町では堅気の人々からも慕われている面がある。 通称・風間のおやっさん。 孤児だった桐生一馬を育てていたが、桐生一馬の肉親を殺したのは風間だった。 とはいえ、桐生一馬はその事実を知りながらも風間を育ての親として認めている。 桐生一馬を東城会四代目会長に推薦したのも風間。 東城会直系・嶋野太組長の銃殺により命を落とす。 龍が如く3では、風間新太郎と容姿がそっくりな風間譲二がいるが実弟。 |
|
声優 | 石塚運昇 |
- 吉田東洋について
-
- 土佐藩 参政
- 龍馬の育ての親にして土佐の最重要人物
土佐藩の大殿・山内容堂の懐刀と呼ばれる切れ者で、名実ともに藩の中心人物。
そのため表向きは土佐において最も厳格な支配者であると見なされ、恐れられている。
しかし、それは表向きの顔に過ぎない。
真の彼は正義感にあふれた情に厚い男であり、この理不尽な支配体制を誰よりも憎んでいた。
東洋は差別を受け親を失った下層階級の子供たちを引き取り、
密かに支援する活動を長年続けてきた。すべてはこの藩を変える人材を育むために。
そうして育った一人が坂本龍馬であり、その兄貴分である武市半平太だった。
革命前夜、凶刃に倒れた東洋。
その死は龍馬と武市、二人の『息子』の人生を大きく狂わせていく……
■史実における人物像
■生没年1816〜1862年、土佐藩出身
土佐藩の馬廻役・吉田正清の四男として生まれる。
13代土佐藩主・山内豊熈に抜擢されて、東洋は次々と藩政改革に乗り出す。
藩士の子を教育する『文武館』を開設したり、藩の格式の簡素化、西洋技術の導入、
諸外国との交易計画など、土佐藩の立て直しを行った。
財政改革と人材育成に生き、土佐藩を幕末の雄藩へと押し上げた東洋だが
藩の保守派と尊王攘夷派の両方から反感を買っていたようで
結局は土佐勤王党らに暗殺されてしまった。
岡田以蔵(錦山彰)
維新でのキャラ名 | 岡田以蔵(おかだ いぞう) |
---|---|
龍が如くでの配役キャラ | 錦山彰(にしきやま あきら) |
龍が如くシリーズ登場作品 | 龍が如く1 |
37歳(龍が如く1)、180cm、79kg、AB型 | |
子供の頃から桐生一馬とともに養護施設で育った唯一無二の親友。 幼馴染である澤村由美を堂島宗兵が襲おうとしたので、カッとなり堂島宗兵を銃殺する。 目撃者の桐生一馬が錦山の身代わりとなり、罪をかぶって刑務所に入ると、 錦山彰は東城会直系錦山組長まで成長する。 病気だった妹も死に、桐生一馬といた頃とは性格が変わり東城会の跡目争いをする。 最後は神宮京平をナイフで刺してケジメを取るべく、100億円と共に爆弾を射撃して爆死する。 背中には錦鯉の刺青を彫っている。 |
|
声優 | 中谷一博 |
- 岡田以蔵について
-
- 土佐勤王党
- 武市に心酔する剣の達人
寡黙だが、常にその眼に殺気を宿す危険な男。
武市を募って土佐勤王党へ参加したが、武市へ抱く気持ちは心酔に近い。
その剣の腕から勤王党の中でも一目置かれる存在であり、
龍馬が就いた『筆頭』の座は、岡田以蔵にこそふさわしいという声もあった。
そのため以蔵は出世を横取りされたと恨み、江戸から帰った龍馬と敵対する。
この岡田以蔵こそ龍馬が出会う最初の強敵であり、
その因縁は、龍馬の長い旅路の中で幾度となく二人を巡り合わせることになる。
■史実における人物像
■生没年1838〜1865年、土佐藩出身
土佐藩の足軽(郷士)で生まれた岡田以蔵は、武市半平太に剣術を学んだ。
剣の腕を見込まれ武市につきそう形で江戸の士学館に入門する。
武市半平太が土佐勤王党を作ったときは岡田以蔵も組織に加入したが、なぜか除名された。
その後は京都へ向かい、天誅(天に代わって罰を下す)と称して
勤王党の考えに反対する佐幕派の人物を次々と暗殺した。
天誅の件数は文久〜慶応年間で161件。
京の街では『人斬り以蔵』と称され恐れられる存在になった。
8月18日の政変で土佐勤王党が失速すると、吉田東洋暗殺の疑いで京都で逮捕される。
激しい拷問の末、すべて自白して打ち首になった。
その情報により勤王党は壊滅した。
中岡慎太郎(伊達真)
維新でのキャラ名 | 中岡慎太郎(なかおか しんたろう) |
---|---|
龍が如くでの配役キャラ | 伊達真(だて まこと) |
龍が如くシリーズ登場作品 | 全シリーズ |
45歳(龍が如く4)、177cm、68kg | |
警視庁神室署捜査一課の刑事。龍が如く1では四課の刑事。 一時期は警察を辞めて新聞記者をやっていた頃もあったが、結局は警察に複職している。 桐生一馬とは龍が如く1の頃から知り合い、協力する信頼関係で結ばれている。 |
|
声優 | 山路和弘 |
- 中岡慎太郎について
-
- 土佐藩士
- 「事件」を追うもう一人の男
どことなく気だるそうな雰囲気を持つ男。
しかしその眼は鋭く輝き、物事の本質を見抜く力を備えている。
そんな中岡も、吉田東洋の死の真相を迫っていた。
中岡は東洋の付き人であり、その死によって人生を大きく狂わされたのだった。
東洋殺害の容疑者である龍馬は、中岡にとって憎むべき存在。
しかし『事件の真相解明』という目的を同じくする二人が出会うとき、
男たちは唯一無二の協力者になってゆく。
■史実における人物像
■生没年1838〜1867年、土佐藩出身
土佐藩の安芸郡北川郷の大庄屋で生まれる。
武市半平太の道場で剣術を習い、土佐勤王党に加わる。
15代土佐藩主・山内容堂が土佐勤王党を弾圧すると、中岡は脱藩して長州藩にかくまわれる。
禁門の変や下関戦争にも関わる。
こうしたことから長州藩とは親しく、元土佐藩ではフリーな立場であり
志士たちとの繋がりも広い。
坂本龍馬がおこした海援隊に対し、中岡慎太郎は陸援隊を組織して自ら隊長となる。
1866年正月には薩長同盟の実現に成功。
討幕の密約の仲介人として裏方で活躍した中岡だが、
京都近江屋事件で坂本龍馬とともに何者かに襲撃されて一時は助かったが、二日後に死亡した。