PS4の話題が発表された少し前(2013年2月20日)にワープの社長・飯野賢治氏が、
突然この世を去りました。死因は高血圧性心不全のようです。
体格がもの凄いデブだったので、それが原因だったのではないだろうかと個人的に察してます。

 飯野賢治氏のツイッターを見ると2月17日で更新が止まっている・・・
ボストンの雪国行きを最後に、寒さのためか心臓に負担がかかってしまったのかもしれませんね。

 で、当時セガサターンで発売されたラジオを聞くようなボイスのみのゲームが発売されたが、
その脚本をテキスト文章で公開されている。ワープ関連の人が提供しているぽい。
・こちら⇒http://blog.livedoor.jp/skmtyj/archives/23829672.html

 
 飯野賢治氏の作ったゲームは遊んだことがあるけど、ぶっちゃけ退屈ゲームだったな・・・という印象がある。
動きがモッサリしていて3流メーカーという雰囲気が漂うゲームだった。
ただ飯野賢治氏の凄みというものは、Dの食卓にしてもほとんど一人で制作したそうでハンパなく頭が良い部分だろうな。
テレビを使った宣伝にしても、一体どこからそのコネをたぐり寄せたのだろうか?と思えるほどの行動力。

 飯野賢治氏のゲームは正直ツマンネーかったけど、何か人より秀でたものを持っている方だと認識している。
直接会って話を聞いた訳でもないので、秀でた部分の元となるものが何だったのかは今では分からないが
一般の方と違って変わった所がある人だと感じた。
当時ゲームをプレイして、その独創的というか個性さがゲームにも出ているなと実感したくらいだ。

 何十年前に飯野賢治氏が書いた文章で未だ覚えている話がある。
それは勉強するときは、いつも風呂に入りながら勉強していたようですw

 風呂に入ると心身ともにリラックス状態になるためか、頭に入り易かったようで風呂場で勉強するのだとか。
風呂の壁一面にはサランラップを張りまくって、そこにマジックペンで書いて勉強していたそうです。
大学受験もそれでパスできたそうだw

 エネミーゼロの制作では、企画やシナリオを作る際はホテルに一ヶ月ちかく宿泊して作ったと言っていた。
ホテルに長期滞在で、しかも部屋からは一歩も出ない缶詰状態だったので
ホテル従業員が心配して何度か部屋に様子見に来たそうだ。

 
 並々ならぬ人より変わったことをしてるなと感じたが、
よくよく考えると飯野賢治氏は0から1を生み出せる方だったのかもしれない。
芸術家にしても死んでから評価されることが多いが、飯野賢治氏もそのタイプの人なのかな。

 0から1を生み出すのはとても難しいことだが、常人には評価されないことが多い。
だがそれも一つの個性と言えるか。
突然の早い死だったが、ゲーム業界に名を刻んだのは紛れもない事実だろう。
御冥福をお祈りいたします。