ジブリの動画家の近藤勝也展
■美術館:https://banbi.pref.niigata.lg.jp/

2018年7月7日より、新潟県にある新潟県立万代島美術館で開催された、ジブリの動画家『近藤勝也展』へ行ってきました。初めて訪れたが『万代島』って変わった地名ですね。丁番を持たない単独町名なんだそうです。近くには信濃川が流れ、日本海に面した海辺の地域です。

新潟県中央区万代島

初めに万代島へ行くときは、「漁業が盛んな田舎な地域かな?」と想像しながら向かったが、道路は片側三車線で、割と人口密度が高そうな都会風景が広がってました。画像左の異様に高い高層ビルは『朱鷺メッセ』と呼ばれる建物で、万代島美術館は5階にあります。朱鷺メッセは、ホテルだの展示場だの会議室など複合一体型の施設。

朱鷺メッセの展望台からの風景

周辺を散歩してみたが、橋の上から朱鷺メッセを見ると、どこか外国の風景にも見える。朱鷺メッセは地上から約125mの高さで、31階の最上階は『Befcoばかうけ展望室』となっている。『ばかうけ』とは米菓子名。無料で行けるそうなのでチャレンジ精神も有り、ついでに展望室へ上ってみた。いやぁ~絶景!絶景! 遠くには海を越えて佐渡島も薄っすらと見えたりします。


 

近藤勝也氏に訊くジブリでの仕事についてのインタビュー

近藤勝也展の画像

左にいる方が近藤勝也先生です。右の方はTeNY新潟テレビのアナウンサーだそうです。アナウンサーの司会・進行と共に、近藤氏の解説を交えながらジブリ作品を観ていく流れでした。いろいろ聞いてきたことをまとめてみました。

ジブリ歴代作品を支えてきた近藤勝也とは?

近藤勝也

■近藤勝也氏の経歴
  • 1963年:愛媛県新居浜市に生まれる。
  • 1982年:スタジオあんなぷるへ入社。
  • 1985年:『天空の城ラピュタ』参加のため、スタジオあんなぷるを退社してフリーになる。
  • 1990年:スタジオジブリに入社。
  • 1992年:スタジオジブリを退社。フリーになる。
  • 2012年:地元で展覧会を開催。現在は長野県在住、新居浜市ふるさと観光大使。

近藤勝也は幼稚園の頃から絵を描くのが好きで、学生時代は架空の人物を描いたり、好きなアニメを模写してた。子供の頃は絵の職業というのはあまりイメージが湧かなかったが、小学生の頃から「将来は身近な漫画家になればいいな」と思う程度。

小学校のときは、漫画の通信教育の会員になって制作した漫画を送って採点してもらったり、友達と描き比べを行ったり、自分が描いた漫画を友達に読ませたり、高校生の時は30秒で見た本を思い出してスケッチしたりして遊んでいたという。

ニャロメ』や『ハクション大魔王』とかギャグ漫画が好きでよく読んでいたが、ウルトラマンとかヒーローものには興味がなく、妖怪や異形のような変なのが好きだった。またストーリーを作ることには関心がなく、漫画にしても自分が気に入った絵だけの漫画を読んでいた。絵が気に入らないと、いくらストーリーが良くて人に勧められても全然読む気がせず読まなかった。
 

アニメーションは少し馬鹿にしてたところがあったが、宮崎駿氏の『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』とかを見て衝撃を受け、段々とアニメーションの職業に関心を持つようになっていった。高校を卒業すると、当時宮崎駿氏がいた『テレコム・アニメーションフィルム』の入社試験を受けたが不合格。

入学してたアニメーションの専門学校では、アニメ好きな人の集まりで志の無い人ばっかだし、学校の授業もあまりアニメ制作らしいことをやらないし魅力を感じなかった。なので半年で辞めた。単身で持ち込みを続けてアニメ制作会社『スタジオあんなぷる』へ入社できた。スタジオあんなぷるでは動画から教わり、忙しい現場だしテレコムの試験に落ちて良かったと思った。

1986年にスタジオジブリが『天空の城ラピュタ』の制作のため、アニメーターを募集していた。そこに応募したところ、合格してスタジオジブリに入社できた。以後フリーになるまで、ベテランアニメーターとして多くの作品を手掛けた。
 

■近藤勝也氏が関わった作品
  • 1982年~1983年:テレビ『スペースコブラ』:動画担当
  • 1983年:映画『ゴルゴ13』:原画担当
  • 1983年~1985年:テレビ『キャッツ・アイ』:原画担当
  • 1984年:テレビ『マイティ・オーボッツ』:原画担当
  • 1986年:映画『天空の城ラピュタ』:原画担当
  • 1986年~1988年:テレビ『めぞん一刻』:原画担当
  • 1987年:映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』:原画担当
  • 1987年:OVA『トワイライトQ 迷宮物件FIlE538』:キャラクターデザイン担当
  • 1987年:OVA『デビルマン 誕生編』:原画担当
  • 1988年:映画『となりのトトロ』:原画担当
  • 1989年:映画『魔女の宅急便』:キャラクターデザイン・作画監督
  • 1990年:OVA『デビルマン 妖鳥死闘麗濡編』:原画担当
  • 1990年:テレビ『雲のように風のように』:キャラクターデザイン・作画監督
  • 1990年:テレビ『魔法少女レインボーブライト』:原画担当
  • 1991年:映画『おもひでぽろぽろ』:作画監督
  • 1992年:映画『紅の豚』:原画担当
  • 1993年:テレビ『海がきこえる』:キャラクターデザイン・作画監督
  • 1994年:映画『平成狸合戦ぽんぽこ』:作画担当
  • 1995年:漫画『D’arc ジャンヌ・ダルク伝1』:作画担当
  • 1996年:漫画『D’arc ジャンヌ・ダルク伝2』:作画担当
  • 1997年:映画『もののけ姫』:原画担当
  • 1998年:ゲーム『玉繭物語』:コンセプトデザイン・原画担当
  • 1999年:CM『くらしごこち家族(リョービ)』:キャラクターデザイン
  • 1999年:映画『ホーホケキョとなりの山田くん』:原画担当
  • 2000年:CG映画『The AURORA 海のオーロラ』:キャラクター設定
  • 2001年:ゲーム『玉繭物語2』:コンセプトデザイン・原画担当
  • 2004年:映画『ハウルの動く城』:原画担当
  • 2004年~2005年:テレビ『カゼノトオリミチ(NHKみんなのうた)』:原画担当
  • 2006年:映画『やどさがし(三鷹の森ジブリ美術館短編作品)』:演出アニメーター担当
  • 2007年:テレビ『電脳コイル』:原画担当
  • 2008年:映画『崖の上のポニョ』:作画監督・主題歌(作詞)担当
  • 2010年:映画『借りぐらしのアリエッティ』:原画担当
  • 2010年:CM『コニャラ(日清製粉グループ)』:構成・作画担当
  • 2010年:映画『ちゅうずもう(三鷹の森ジブリ美術館短編作品)』:作画監督補
  • 2010年:ゲーム『二ノ国 漆黒の魔導士』:原画担当
  • 2011年:映画『コクリコ坂から』:キャラクターデザイン担当
  • 2011年:ゲーム『二ノ国 白き聖灰の女王』:原画担当
  • 2013年:映画『風立ちぬ』:原画担当
  • 2014年~2015年:テレビ『山賊の娘ローニャ』:キャラクターデザイン担当
  • 2016年:CM『鳥獣戯画(丸紅新電力)』:構成・作画担当
  • 2016年:CM『となりのおにぎり君(伊藤園)』:構成・作画担当

 

天空の城ラピュタ

天空の城ラピュタ

天空の城ラピュタ』は初めてジブリの仕事で携わった作品。当時は別の会社(スタジオあんなぷる)にいたが、スタジオジブリが原動画を募集していた。

どうしてもやりたかったので応募し、当時吉祥寺にあったスタジオジブリに行く。宮崎駿氏にアメリカとの合作アニメーション『Sweet Sea』の原画を宮崎駿監督に提出。動画でもいいのでやらせてもらえないかなと思ってたが、採用されて「原画で来てください」と言われた。

天空の城ラピュタの展示品

スタジオあんなぷるへ戻って「辞めます」と言ったら、制作とは違う人が出てきて大変だったが、現場の人からは「そうなんだ」と言われ、しんみりした感じで退社。

天空の城ラピュタの制作ではレイアウトでつまづいた。宮崎駿氏の絵コンテに自分なりのアイデアを足そうとしたが、2週間ぐらいOKが出ずにうまくいかない。宮崎駿氏の要求することに、上乗せしようと思わないと切り替えたらOKが出るようになった。
 

魔女の宅急便

魔女の宅急便

魔女の宅急便』は天空の城ラピュタから3年後、近藤氏はまだ20歳半だったがキャラクターデザインと作画監督として起用された。最初から依頼されて、ほぼ初めてキャラクターデザインを担当したのだという。

原作をイメージに絵を描いて準備段階を進めた。主人公キキのデザインは当初はロングヘアーだったり、金髪だったりといろいろあった。いろんな人の意見を取り入れて試行錯誤し、現在のキキが出来上がった。

魔女の宅急便の展示品と近藤勝也氏

キャラクターデザインでは、1人のキャラクターを立たせた(想い入れ)描き方はしていない。キキだけ立てて描いてしまうと違和感が出てしまう。いろんなドラマの中に、いろんな登場人物が出てくる中の主人公キキということで、全体の絵のバランスを見ながら詰めて形にして、キャラクターデザインを行っている。なので、どのキャラクターが一番想い入れがあるとかは無い。

猫のジジなど、動物のキャラクターを描くのは難しい。人間と比較して歩き・走りや足の動きが違うし、感情を出さなくてはいけないので難しい。当時は身近に動物がいなかったので、「難しいなぁ」と思いながら当時は描いていた。
 

海がきこえる

海がきこえる

海がきこえる』はテレビスペシャルで90分やりたいとなった。紅の豚の制作が終わった時に、宮崎駿監督やプロデューサー高橋望氏が続投するのが大変だから「若手に作らせよう」と話になって、近藤氏にオファーがかかった。しかし近藤氏は、声がかかった時は作るのを猛反対した。

原作を読んで小説としては良いけど、『天空の城ラピュタ』や『魔女の宅急便』のようにファンタジーとは違うし、まったくアニメに向いていないと思った。海がきこえるは、全て現実の日常芝居を構築しないと話にならないと躊躇したのだ。

そしたら「近藤君抜きでもやる!」と言われて、「そりゃないだろう…」と思い参加した。やり始めると、段々と日常生活・芝居を形にしていくことが大変快感になってきた。「あ、コレ可能性は面白い! 飛んだり跳ねたりしなくても、感情移入させることができる。」と面白みを感じた。私色に染め上げた、人一倍想い入れの深い作品でした(笑)
 

崖の上のポニョ

崖の上のポニョ

崖の上のポニョ』のポニョのイメージは宮崎駿監督にあったが、自分(近藤氏)の娘をモデルにデザインした。顔はポニョに全然似てないけど、子供のアウトラインや仕草などを身近に見ているので、居ないよりはまだ居る方が実感として描けたのだと言う。

宮崎駿監督から注文があるが、一からデザインしていくときに大事にしているポイントは、見て「あぁ、こういう仕草ってあるよね!」とか、観てもらってる人に想ってもらうように意識して描いている。

崖の上のポニョの展示品

崖の上のポニョの歌は、宮崎駿監督から「近藤君、作詞やってよ。」と言われた。「えっ!?僕でいいんですか?」と聞いたら、「いいよ」と言ったので即答でOKした。その頃にはすでに歌詞無しの楽曲が出来ていて、いつも楽曲を聞いていたので自分で作れると思ってたので承諾。そして一晩で作詞を作って提出したら、「うん、いいんじゃない。」と宮崎駿監督が言う。

でも歌というのは、メロディーと合わせて聞かないと分からないから数週間待つことになった。そして楽曲と合わせて聞いたら、宮崎駿監督に「全然よくない、やり直し。」と言われる。「できなきゃ辞めてもいい」と突き離されたが、「ここまで来たらやります」と返事して、仕事後に深夜遅くまで数週間かけて作詞を作った。

崖の上のポニョの展示品その2

歌詞は子供がやっていることを擬音化させて、「パークパクチュッギュッ!」と作る。OKが出たときは、嬉しかったというよりホッとした。
 

コクリコ坂から

コクリコ坂から

コクリコ坂から』のキャラクターデザインは、今までに一番苦労したんじゃないかと思う。理由は宮崎五郎氏(宮崎駿氏の息子)が監督、プロデューサーは鈴木敏夫氏、脚本には宮崎駿氏がいる中で、コクリコ坂からの作品は「こうなればいいな~」というのが自分の中に有った。

しかし監督+プロデューサー+脚本も、それぞれの「こうなればいいな~」という自分の想いがあるので、3人を目の前にして自分の成し遂げたいことを形にすることが難しい。話がまとまってきたところで、宮崎駿氏が「僕はこうじゃない!」と横槍が入ったりするし、プロデューサーからは「近藤君、魔女の宅急便の頃のほうが良かったよ。」と言われたりもした。

宮崎五郎氏には「近藤さん、やる気あるんですか?」と言われ、3人から突かれたことで胃が痛くなるわ、夜に足がつるわで辛かった。「とにかく一週間で描け。みんなで見るから、それから今後を決める。」となり、一週間ぐらいで描き上げて提出したら、宮崎駿氏が「いいんじゃない?それで」と。

それが宮崎駿氏なりのOK(進めれば)のセリフで、普段褒めることはない。「いいね!」とかは絶対に言わない。適当に「いいね」という場合はどうでもいい場合。どうでもよくない場合は「こんなこともあるのか」と、関心すればするほど「違う!俺ならこうする!」と言ってくる。

コクリコ坂からの展示品

声を大にして言いたいが、「人の意見をどんどん聞くと、良くなるんですよ」。やっぱり自分の範囲で「いいな」と思っていることは狭いんです。違う角度から「もっとこうなんじゃない?」とか、もう出来ているのにまた言われると頭に来るんですけど、監督に聞くとそれなりの意味付けがあったりして、こちらが理解するとさらに良くなるんです。

ただ、どうしても聞けないものはあります。その時はこちらも具体的に見せたり、口で「これこれ、こーだから」と説明する。でも大体人の話は聞いた方が良いですね。
 

風立ちぬ

風立ちぬ

風立ちぬ』はこれまでのジブリアニメのように、必ずしも飛んだり・跳ねたりする漫画映画じゃなく、日常生活のオンパレード。なので自分で芝居して動きをチェックした。

結婚式のシーンは自分で着物をはおり、ドアを開けたり閉めたりして、それをデジカメで撮影。写真をそのままトレースする訳ではなく、映像を観ながらスケッチした。頭の中で描くのと、実際やってみるのとでは全然説得力が違う。

アニメーターはこういったことはあまりやらないと思うので、やればいいと思う。『ルパン三世 カリオストロの城』のような漫画映画だと、むしろやらない方がいいんですよ。日常芝居のオンパレードになってくると、説得力がなくなってくる。
 

CG映画について

山賊の娘ローニャ

山賊の娘ローニャ』では、3DCGとなることが前提のキャラクターデザインを手掛けた。3DCGなどアニメーションがどんどん進化すると、アニメーター的に思うことは手書きのアニメーションはお払い箱になる。

そうなってくるとPCで動きを作るアニメーターがいますから、僕の仕事は作品のキャラクターデザインで、2Dで培った感じを3Dキャラクターに入れて、それが成り立つかどうか自分なりのテーマがある。

それなりに作れたかなと。CGはずっと可能性を感じている仕事です。良い悪いはあるんですけど、まぁ良い動きの方が相対的に多いと思います。
 

企業のCM作品について

企業のコマーシャル作品は、30秒でまとめなくちゃいけない。作業で区切られて面白いものもあるんです。『鳥獣戯画』は絵巻物ですのでイメージを崩さないように、右から左へ話が進んで行くのが基本大事です。起承転結めいたものを入れ込んで、計算しないとできないんです。

ウサギとカエルを描いたが、展示されている絵巻物は実寸大サイズではなく、半分ぐらいのサイズで描いている。大きく描くより、小さい方が躍動感が出る。そして小さく描いたものを拡大した方が迫力が出るんです。

 

ジブリの動画家『近藤勝也展』の感想

スタジオジブリの近藤勝也

近藤さん、めっちゃ絵うまいですね!
アニメーターらしい鉛筆ラフ画のタッチに、5色ぐらいで雑に塗られた水彩イラストばかりでしたが、絵から感じとれるキャラクターの表情・思考や連想される動き、背景からは絵全体の世界観や暖かみが感じられるのが、近藤さんの描き方の特徴と言えよう。

絵を監督に見せて首を縦に振ってもらえるようにしなきゃいけない訳だが、ジブリアニメらしいポイントを突かないと駄目だろうし、アニメーションを想像させるものを描かなきゃ納得してもらえないだろう。よって世界観を構築するのは難しいだろう。ましてや宮崎駿監督はあの性格ですから、OKが出るまで試行錯誤を繰り返すことになるものと予想される。
 

平成狸合戦ぽんぽこ

昔のジブリ作品にしても、ルパン三世カリオストロの城にしても何度も観たなぁ。カリオストロの城に関しては、ルパン三世の映画の中では一番面白かったという印象が残ってます。テレビアニメにしても、宮崎駿監督が若手のときに制作したルパン三世が面白かった。あれファミコン化されたくらいですからね!

他の監督の作品は、ルパングッズにしてもアイデアが足りないというか、カット割りとか動きとか、なんか全体の面白さがイマイチだった・・・

ジブリ作品に関しては『千と千尋の神隠し』までなら、テレビの再放送も含めて根強く何回も観たなぁ。最近の作品は自分が大人になりすぎてしまったのか?という部分もあるんだと思うが、ぶっちゃけ全体的に作品が退屈かなと・・・。1回だけ観たら「もういいかな~」となる。

そこら辺の理由を近藤さんの口から聞いてみたいと思ってたが、とくに質問コーナーとかなかったし、ジブリを退社した理由なんかも聞きたかったかな。
 

終わらない人 宮﨑駿

以前に『終わらない人 宮﨑駿』を拝見したが、あの歳でさらに挑戦してるとは衝撃的だった。『毛虫のボロ』が生まれたシーンを制作するのに何度も修正したり、アイデアを足したりと、ワンシーンにもの凄く時間をかけまくる。納得するまでやり続ける姿勢に、なんか熱い職人魂を感じました。

おまけに感受性も鋭く、頑固な一面も多い。気にいらないと「お前、仕事辞めちまえ!」と雷が落ちる。近藤さんはその辺りのメンタルケアは大丈夫だったのだろうか(笑)。宮崎駿監督と一緒に仕事をすると大変だなと思った次第だが、その反面作品に傾ける情熱が人一倍強い性格なんだと感じた。自分の生き方よりも、作品を優先してしまう人柄なのだろう。

ジブリとゲームのコラボは、玉繭物語や二ノ国くらいか? 数が少ないのは宮崎駿監督がゲームに対して否定派だからだと思う。レベルファイブの二ノ国とかは、よくコラボできたもんだと思ったところがあるけど、日ノ神がうまいこと丸め込んだんでしょうねw

 

ジブリの動画家『近藤勝也展』のアニメグッズ画像

ジブリの動画家『近藤勝也展』では、ジブリ作品のキャラクターの設定資料画だったり、イラストなどが500点ちかく展示されてます。またグッズコーナーでは展示品限定商品なども販売され、ジブリ好きには楽しめる場所かと思います。

会場では撮影可能な場所がいくつか設けられており、展示コーナーの入り口近くの赤ボードに、マジックで魔女の宅急便のキキが描かれてますが、近藤さんが美術館で描いたものです。

スタジオジブリの近藤勝也先生のサイン

記念に近藤さんからサインを書いてもらった。サインといえば大抵は中央にデカデカと書くもんだと思うが、近藤さんに至っては小さく隅っこに書いたのが印象的でした。これも近藤さんらしいのかな?

絵を小さく描いて拡大することで迫力が出るとか言ってたので、小さく描くのが普段からのクセなのかなと感じつつも、また一つ良い刺激を受けて美術館を出ました。そういや今日は七夕だったな。となりのトトロ♪ トトロ~♪

 

その他:絵関連のお話